令和9年(2027年)大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)こと小栗忠順(ただまさ)の生涯が描かれます。
激動の幕末にあって、日本の近代化に大きく貢献した立役者ですが、滅びゆく徳川幕府に忠義を貫きながら非業の死を遂げてしまいました。
明治維新を見ることなく散って行った悲劇の英雄の活躍が、視聴者の胸を打つことでしょう。
今回はそんな小栗忠順が生きた時代の元号/西暦早見表を用意しました。大河ドラマ「逆賊の幕臣」を楽しむご参考にどうぞ!
小栗忠順の生涯【元号・西暦早見表】

文政(ぶんせい)1818年~1830年
- 文政10年(1827年) 小栗忠順が誕生(1歳)
- 文政11年(1828年)
- 文政12年(1829年)
- 文政13年(1830年/天保元年)
天保(てんぽう)1830~1844年
- 天保元年(1830年)
- 天保2年(1831年)
- 天保3年(1832年)
- 天保4年(1833年)
- 天保5年(1834年) 安積艮斎に弟子入り(8歳)
- 天保6年(1835年)
- 天保7年(1836年)
- 天保8年(1837年)
- 天保9年(1838年)
- 天保10年(1839年)
- 天保11年(1840年)
- 天保12年(1841年)
- 天保13年(1842年)
- 天保14年(1843年) 江戸城に出仕する(17歳)
- 天保15年(1844年/弘化元年)
弘化(こうか)1845~1848年
- 弘化元年(1845年)
- 弘化2年(1845年)
- 弘化3年(1846年)
- 弘化4年(1847年) 書院番に抜擢される(21歳)
- 弘化5年(1848年/嘉永元年)
嘉永(かえい)1848~1854年
- 嘉永元年(1848年)
- 嘉永2年(1849年) 妻・小栗道子と結婚する(23歳)
- 嘉永3年(1850年)
- 嘉永4年(1851年)
- 嘉永5年(1852年)
- 嘉永6年(1853年) ペリーが浦賀へ来航(27歳)
- 嘉永7年(1854年/安政元年)
安政(あんせい)1854~1860年
- 安政元年(1854年)
- 安政2年(1855年) 父の小栗忠高が病死、家督を継ぐ(29歳)
- 安政3年(1856年)
- 安政4年(1857年)
- 安政5年(1858年)
- 安政6年(1859年)
- 安政7年(1860年/万延元年) 遣米使節に加わり、帰国後外国奉行に(34歳)
万延(まんえん/ばんえん)1860~1861年
- 万延元年(1860年)
- 万延2年(1861年/文久元年) 外国奉行を辞任する(35歳)
文久(ぶんきゅう)1861~1864年
- 文久元年(1861年)
- 文久2年(1862年) 勘定奉行に就任する(36歳)
- 文久3年(1863年) 横須賀製鉄所の建設を提案(37歳)
- 文久4年(1864年/元治元年)
元治(げんじ)1864~1865年
- 元治元年(1864年)
- 元治2年(1865年/慶応元年) 横須賀製鉄所の建設開始(39歳)
慶応(けいおう)1865~1868年
- 慶応元年(1865年)
- 慶応2年(1866年)
- 慶応3年(1867年) 大政奉還により徳川幕府が滅亡(41歳)
- 慶応4年(1868年/明治元年) 戊辰戦争にともない処刑される(42歳)
※旧暦(太陰暦)のため、年末あたりは西暦で翌年に入っていることもありますが、わかりやすさの便宜上、一元号1年に固定表記しました。
終わりに

以上、小栗忠順の生涯をとても駆け足でたどってみましたが、元号の移り変わり(改元)が頻繁になっていくと同時に世の中が乱れていくのを感じます。
文政・天保・弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応……。
「文政(13年継続)・天保(15年継続)のころはまだ平和だったなぁ……」人々はそんな風に思っていたのかもしれませんね。
大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、小栗忠順の幼少期がどのように描かれ、その平和がどのように崩れていくのかが見どころとなりそうです。
※参考文献:
- 阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』マツノ書店、2013年7月
- 村上泰賢編 『小栗忠順のすべて』新人物往来社2008年4月

