第8回放送「逆襲の『金々先生』」で、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が幼なじみの瀬川(小芝風花)に渡した『女重宝記(おんなちょうほうき)』。
「いいところに嫁入りして、誰より幸せになって欲しいから」と蔦重なりに最大限の尊敬と愛情を込めて贈ったのですが、傍で見ていた九郎助稲荷(綾瀬はるか)は呆れてしまいました。

「(視聴者を促して)さんはい。(視聴者と一緒に)バ~カ!バカ、バカ、バカ!豆腐の角に頭ぶつけて〇んじまえ!」
蔦重「俺、何もしてねえよな?」
それが豆腐の角(以下略)って話です。劇中の空気から、何となくお察し頂けたのではないでしょうか。
という訳で、今回はこちら『女重宝記』について紹介したいと思います。
『女重宝記』全5巻の内容は?
『女重宝記』とはつまり「女性の生活マニュアル~ファッションから結婚・妊娠・出産・冠婚葬祭そしてワンランク上の教養まで~」と言ったところでしょうか。
時は元禄5年(1692年)、著者は苗村丈伯(なむら じょうはく)でした。
全5巻で構成されており、どんな内容になっているのか、ここではその目次を紹介したいと思います。
一之巻「女中(じょちゅう)万(よろず)たしなみの巻」
- 女ハ人間のはじまりの事
- 身の養生ならびに四火の灸の事
- 女品 定め付たり風俗の評判
- 女疵瑕物がたりならびに諸芸たしなむ事
- 女ことばづかひ付たり御所大和詞祝言忌詞
- 女化粧の巻
- 衣類の沙汰ならびに当世染様の噂
【コメント】
ここでの女中とは、よくイメージされる雑用や下働きの女性を指す言葉ではなく、女性一般を敬って呼ぶ言葉です。
冒頭の章は「女は人間の始まり」と読むのか、あるいは「女(おんな)八人間(はちじんかん)の始まり」と読むのか、もしくはどちらの意味もかけたのかも知れませんね。
二之巻「祝言の巻」

- 祝言の次第
- 嫁取言入ならびに日どりの事
- 祝言道具の次第
- おなじく座の次第并盃のしやうの事
- 式三献の事并銚子加へのしやう手がけ引渡しならひに色なをしの事
- 祝言の夜膳部食い物の次第并ニ図
- 饗膳の図
- 七五三の図
- 引渡しの図
- 御厨子黒棚飾り様の事并図
- 手の道具飾り様の事
- 酌加へしやうの事并銚子提子の図
- 常の羽觴にて酒のミやうの事
- 女中よろづ喰方の作法
【コメント】続いて祝言(婚礼)の作法についてレクチャーしています。酒の飲み方やテーブルマナーなど、現代にも役立つかも知れません。
三之巻「懐妊の巻」

- 懐妊の事ならひニ養生の事
- 懐妊か懐妊にあらざるをしる事
- おなじく身の持やう并ニ食物のよしあし喰ひ合せの事
- おなじく帯をする事付日取り胎内さがし
- 産のとき向ひてよき方の事
- おなじく忌むべき衣装并ニ忌むものゝ事
- 知死期繰り様の事
- 産前にこしらへをくべき物の事
- 産にのぞミて心得の事
- 産後養生付食物のよしあしの事
- 女の年により産よしあしの事
- 月により 生れ子よしあしの事
- 難産の妙薬并ニ灸法の事
- 産後乳腫れ痛む薬并乳の垂る薬まじなひ
- 生れ子の次第生れ子養生の事
- 女中方服忌令の事
【コメント】女性にとって、妊娠と出産は命懸けの大仕事。
それだけ項目も多く、細かく解説されているようです。
四之巻「諸芸の巻」

- 手習ひの事ならびに文書く事
- 歌をよみならふ事付たり歌書作者をし る事
- 琴を弾ずる事并に名をしる事
- 貝覆ひ歌かるたの事
- 香をきく事付たり十火主香 掛香の名方
- 伽羅の名ならびに薫物の方
- 女中諸病妙薬秘法
- 万染み物落し様の事
【コメント】いきなり緊張感がなくなりましたが、生命こそかかっていなくても、こうしたスキルは何かと女性の生活に不可欠でした。
五之巻「女節用集字尽」

- 女用器財之部
- 同衣服之部
- 同絹布之部
- 同絹布染色之名
- 同詞字等類ならびに正字
- 源氏物がたり目録
- かなつかいをしる事
- 五節句の事付たり亥子の事
- 新大和言葉ならびに物の唐名
- 小笠原流万包やう折形の図
【コメント】最後に用語集ですね。何か分からないことがあれば辞書を引いて、困らないように知識を補填したのでしょう。
終わりに

今回は『女重宝記』について、その概要を紹介しました。
これに対して出版された『男重宝記』も好評を博したようです。
果たして鳥山検校に身請けされた瀬川は、これを読み込んだのでしょうか。
鳥山検校の没落後、彼女が”しお”の名前(※)で再び蔦重の前に現れるという展開も、最高に面白いですね!
(※)劇中で蔦重が偽造した通行切手の偽名。かつて少年時代の蔦重が、あざみ(少女瀬川)にあげた『塩売文太物語』のヒロイン”小しお”から採ったと思われる。
今後『女重宝記』の内容についても、紹介したいと思います!
※参考文献:
- 長友千代治 校註『女重宝記 男重宝記 元禄若者心得集』社会思想社、1993年11月
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