温厚な人格で兄・羽柴秀吉(池松壮亮)の天下獲りを献身的に支え、惜しまれながら世を去った羽柴秀長(仲野太賀)。
しかしその温厚さは主に身内や仲間に対するもので、外部に対しては苛烈なまでの強欲ぶりで恐れられることもしばしばでした。
今回は『川角太閤記』より、秀吉さえドン引きした秀長の強欲ぶりを紹介したいと思います。
遠征で地域経済を活性化?

時は天正14年(1586年)12月、秀長は堺奉行の小西隆佐(こにし りゅうさ)に命じて30万人分の兵糧と、馬2万頭分の飼料を調達させました。
翌年から九州攻め(島津討伐)を計画しており、従軍する諸大名らに配分するためです。しかしこれらの物資は、無料で配給する訳ではありません。
遠征先のあちこちに市場を立て、そこに地元の商人を入れて商わせる形で、各軍に物資を行き渡らせる計画です。
こうすれば地元も経済が回って暮らしが豊かになり、羽柴軍が来ることを歓迎するようになるでしょう。
羽柴軍に対する好感度が高まれば、戦後の統治も容易になり、まさによいことづくめでした。
暴利を企む秀長、ドン引く秀吉

しかしこれは、物資が適正価格で取引されることが大前提です。
九州攻めに従軍する諸大名は、ただでさえ苦しい領国経営の懐から戦費を捻出していました。もちろん兵糧なども、潤沢に用意できる訳ではありません。
遠征先での略奪は基本的に禁じられており、こうなると秀長が設置した市場で物資を調達するしかなくなります。
秀長はそんな諸大名の足元を見て、物資の値をつり上げたのでした。
純粋に取引価格が高くなるパターンもあれば、一見安い価格でも、法外な利息をつけて貸し付けるパターンもあったそうです。
秀長とすれば笑いが止まらないでしょうが、もしそんなことをすれば、羽柴政権に対する不満が溜まってしまうでしょう。
困窮して追い詰められた諸大名が結託して謀叛でも起こせば、せっかく順調に進んできた天下一統が頓挫しないとも限りません。
秀長の暴挙を聞いた秀吉は、ただちに秀長を叱りつけ、兵糧や飼料を適正価格で提供するよう厳命したということです。
終わりに
今回は九州攻めに乗じて暴利をむさぼろうとした秀長のエピソードを紹介してきました。
従来「秀吉の暴走を止めてきた」イメージの強い秀長ですが、彼は彼で大概だったのではないでしょうか。
なお『川角太閤記』は軍記物語であり、その内容が100%史実であるとは言い切れません。
ただし一方で「あの秀長なら、やりかねない」という通俗的なイメージを反映しており、大なり小なりそう思われる振る舞いがあったのは確かなようです。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、このエピソードが採用されるのでしょうか。
吉川平助(松岡広大)による横領事件や、死後に遺された莫大な金銀、そして死後に問題化する「奈良借(ならかし)」ともども注目ですね。

