日本の建国は神武天皇が即位された皇紀元年(紀元前660年)ですが、日本人の歴史は、それ以前から始まっていました。
例えば縄文時代はおよそ紀元前14500年〜紀元前400年(諸説あり)と14000年以上も続いており、独自の精神や文化を培っています。
なぜこれほど永く続いたのか、そして各期における特色はどのようなものか、今回見ていきましょう。
縄文時代・縄文文化とは何か

まずは前提として、縄文時代について定義を明らかにしておく必要があります。
時間的に最も長くとらえた場合、縄文時代とは、土器の出現から稲作の始まりまでの期間です。
当時の人々は狩猟や採集、漁労を主たる生業とし、本格的な定住生活を送るようになりました。
ほか旧石器時代からの延長として発展した生活習慣や文化の総称が、縄文文化と言えるでしょう。
本当に14000年以上も続いたのか?

縄文時代と一口に言っても、日本全国を統一していた王朝や政権が存在していた訳ではありません。
時期や地域によって差が大きく、本来ならば一つの時代として扱うのは適切とは言えないでしょう。
そのため考古学研究者の間では、縄文時代を大きく6つの時期に分類しているそうです。
- 草創期(紀元前14500年〜紀元前9500年)
- 早期(紀元前9500年〜紀元前5000年)
- 前期(紀元前5000年〜紀元前3500年)
- 中期(紀元前3500年〜紀元前2500年)
- 後期(紀元前2500年〜紀元前1300年)
- 晩期(紀元前1300年〜紀元前400年)
※西暦相当は諸説あり。イメージしやすさ重視なので、参考程度にしてください。
それでは、各期における文化的特徴について見ていきましょう。
※わかりやすさ重視のため、ごくざっくりです。興味が湧いた方に向けては、改めて記事にまとめたいと思います。
縄文時代・草創期

(紀元前14500年〜紀元前9500年)約5000年間
この時期の特色として、土器の出現と本格的な定住が挙げられます。
旧石器時代までは加熱に耐えられる容器がなかったため、直火焼きくらいしか出来なかったことでしょう。
それが土器の出現によって煮炊きが可能となり、食生活が豊かになったものと考えられます。
また、土器は重いため絶えずねぐらを求めて渡り歩く生活には不向きでした。そのことが、定住生活を促進したのかも知れませんね。
縄文時代・早期

(紀元前9500年〜紀元前5000年)約4500年間
急激な温暖化によって海面が上昇、魚介類を中心に食糧のレパートリーが増えていきました。
有名な貝塚はこの頃から出てきます。これまで貝塚は単なるゴミ捨て場と解釈されてきましたが、近年の研究ではより深い意味を持っていたとする説もあるようです。
生命をつないでくれる恵みに感謝し、また生命の循環を願っていたのかも知れませんね。
縄文時代・前期

(紀元前5000年〜紀元前3500年)約1500年間
縄文時代の全期を通じて最も温暖化した時期であり、海岸線も日本列島の奥深くまで入り組んできました。
この縄文海進(じょうもんかいしん)と呼ばれる地理的条件の中で、人口や集落の規模も拡大していきます。
水場の開設によって水を飲用以外(例えばドングリのアク抜き等)にも利用するようになり、また日本文化を代表する漆の利用も始まりました。
これまで約10000年の試行錯誤・創意工夫が結実した、縄文文化の開花期と言えるでしょう。
縄文時代・中期

(紀元前3500年〜紀元前2500年)約1000年間
日本全国で人口が約26万人規模まで拡大、縄文時代の最盛期に当たります。
地域によっては100棟を超える巨大集落も散見され、食糧供給が安定していたと考えられるでしょう。
派手で大振りな意匠が施された火炎型土器や、国宝の土偶「縄文のビーナス」等はこの時期に作られました。
また様々な土偶から、当時の人々が洗練されたファッションセンスを持っていたことがうかがえます。
これは人々の生活に余裕が出てきたのか、あるいは神々のご加護を得るなど、信仰に基づくものかも知れません。
現代の私たちがイメージする縄文文化は、概ねこの時期がベースとなっています。
縄文時代・後期

(紀元前2500年〜紀元前1300年)約1200年間
この頃から次第に寒冷化が進み、これまでの開放的な生活文化に変化が現れるようになりました。
豊かさに裏づけられたシンプルな平等社会から、地域によっては身分差が生じたケースもあると言います。
例えば北海道や東北地方等では特殊な墳墓が造営され、これは一般人とは異なる身分や立場が存在したことの証左と言えるでしょう。
みんなが豊かに食べられれば、身分なんて必要ありません。しかし食糧や資源が限られるようになると、それを配分する権限やルールがどうしても必要となります。
次第に厳しくなっていく生活状況が感じられる時期でした。
縄文時代・晩期

(紀元前1300年〜紀元前400年)約900年間
精巧な亀ヶ岡式土器や遮光器土偶が生み出された亀ヶ岡文化の出現から、稲作の普及によって弥生時代に突入するまでの時期です。
精巧な土器は良質な土と焼窯技術によって支えられ、生活文化の爛熟と高度な技術がうかがえます。
稲作は西日本から広がって行ったため、縄文時代と弥生時代の境界はグラデーション状になっていたと言えるでしょう。
まとめ・縄文時代はなぜ14000年以上も続いたのか

- 全国を統一した王朝や政権が存続していた訳ではない
- 時期や地域によって、文化的特徴が大きく異なっていた
- 考古学的には大きく6つの時期(草創期、早期、前期、中期、後期、晩期)に分類される
- 時期を経るごとに文化的な洗練が加速し、弥生時代へグラデーション的に移行していく
今回は14000年以上も続いた縄文時代について、6つの時期区分ごとに紹介してきました。はじめの草創期・早期でおよそ1万年の下ごしらえ?を経た後、次第に文化の洗練が加速していく様子がわかります。
日本国が世界に誇る2685年(皇紀)の歴史は、14000年の歳月が育んだ縄文時代の文化が支えてきたと言えるでしょう。
日本史の中でもあまり注目度の高くない古代史ですが、今後も旧石器時代や弥生時代についても紹介していきたいと思います。
※参考文献:
- 山田康弘『縄文時代の歴史』講談社現代新書、2019年1月

