NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」皆さんも楽しんでいますか?
相思相愛だった瀬川(小芝風花)に去られ、いつも自分を追っかけていた誰袖(福原遥)も俄につれなくなってしまい(※)、相も変わらず独り身の蔦屋重三郎(横浜流星)。
(※)蔦重にその気はなかったでしょうが、急に態度が変わると気になるのが人情というものです。
そんな中、第22回放送「我こそは、江戸一の利者(ききもの)なり」予告編で、いよいよ本屋の娘•てい(橋本愛)が姿を現しました。
「……日本橋のため、とは?」

怜悧に光るレンズと、野暮ったい太黒縁が印象的な眼鏡キャラの彼女。
後に蔦重の妻となる女性ですが、蔦重とは正反対に見える性格から、最初は摩擦や衝突が予想されます(恋愛物語のセオリーですね)。
今回はそんな彼女……がかけている眼鏡。日本に眼鏡がもたらされた歴史について紹介。果たして日本には、いつから眼鏡があったのでしょうか。
ザビエル?それとも…日本のメガネは室町~戦国時代から

初めて日本に眼鏡をもたらした時期や人物については、諸説あるそうです。
有名なところでは宣教師フランシスコ・ザビエルが天文20年(1551年)、周防国の守護大名•大内義隆(おおうち よしたか)に謁見した際、献上したのが始まりと言われています。
しかしそれより20年ほど前の享禄3年(1530年)ごろ、室町幕府の第12代将軍•足利義晴(よしはる)が献上された大陸経由の眼鏡こそ、日本最古とする説もあるとか。
この説はベルリン大学のグリーフ教授が書籍(1933年刊)の中で唱えたようですが、その根拠や詳細は明らかにされていません。
足利義晴が所有していたと伝わる眼鏡は京都の大徳寺•大仙院に所蔵されており、今後の究明がまたれます。
他にも最古ではありませんが、徳川家康が眼鏡を所有していたことは有名ですね(現在は久能山東照宮に所蔵)。
諸説あるものの、16世紀に渡ってきた眼鏡は、江戸時代に入ると日本国内でも生産できるようになりました。
江戸時代も半ばの18世紀には江戸や大阪と言った大都市で眼鏡が販売され、人々が眼鏡をかけるようになります。
肖像画にも、眼鏡をかけた人物が散見されるので、探してみると楽しいですよ!
終わりに

◆てい/橋本 愛
てい/はしもと・あいのちの蔦重の妻
とある市中の本屋の娘。謹厳実直で控えめな女性だが、それが故に損ばかりをしてきた過去をもつ。
ある種世慣れた女郎たちが集まる吉原で育った蔦重(横浜流星)にとっては非常に慣れないタイプの女性であり、ていにとっても蔦重はその出自も含めて受け入れがたい存在であった。
しかし「本を愛する」という一点については共通しており、それが二人の絆となり、いつしかかけがえのない存在となっていく。※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
今回は蔦重の妻となる、てい(実名は不詳)がかけている眼鏡の歴史について紹介してきました。
いかにも陽キャな蔦重と、堅物っぽい彼女では水と油。いかにも合わなそうな二人が、どのように乳化していくのでしょうか。
また「眼鏡を外すと実は美女」という展開はお約束ですから、度が入っていない伊達眼鏡の可能性もあるでしょう。
※ずっと眼鏡をしていたらしていたで、見慣れてくるものでしょうか。
果たして彼女の眼鏡は物語のキーアイテムとなるのか、今後も注目したいですね!
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※参考文献:
- 西村真次『江戸時代創始期』早稲田大学出版部、1922年6月