時は幕末、多くの志士たちが国難を救わんと微力を尽くし、日本各地を奔走しました。
ただしその大半は志を遂げることなく、時代の奔流に呑まれていったのです。
今回はそんな一人・神代仁之助(かみしろ じんのすけ)を紹介。果たして彼はどのような生涯をたどったのでしょうか。
壬生浪士組の結成メンバーに
神代仁之助は天保9年(1838年)、水戸で誕生しました。
文献によって上城順之助(じゅんのすけ)か上城仁之助などの表記ゆれがありますが、恐らく聞き間違いでしょう。
水戸藩浪士として糊口をしのいでいたであろうところ、文久3年(1863年)2月に清河八郎らが結成した浪士組に参加します。
浪士組は関東各地の浪人や有志を募り、京都洛中において治安維持や将軍警護に当たらせる目的で結成されました。
どうせブラブラしていたのだし、と思っていたかはともかく、仁之助は国事に力を尽くそうと意気込んだことでしょう。
浪士組では須永宗司(すなが そうじ)率いる七番組に所属します。
京都ではどんな活躍が出来るのだろうか……期待に胸を膨らませたことでしょうが、京都に着いたら着いたで清河八郎がいきなりこんなことを言いだしました。
「これから江戸にトンボ帰りして、別の任務を遂行する!」
だったら何でわざわざ京都まで来たのか。最初から江戸に入ればよかったではないか。
もっと計画性をもって行動を起こしてもらいたい……。
せっかく京都まで来たのだから、このままトンボ帰りなんてもったいなさ過ぎます。
そう思った仁之助は、同じく不服を唱えた近藤勇(こんどう いさみ)や芹沢鴨(せりざわ かも)らと共に京都に残留しました。
この時に残留した24名が壬生村へ転がり込み、壬生浪士組を結成。後の新撰組ですね。
浪士組結成時メンバー24名一覧
水戸派
- 芹沢鴨
- 新見錦(にいみ にしき)
- 田中伊織(たなか いおり。新見錦と同一人物=新見の変名説もあり)
- 平山五郎(ひらやま ごろう)
- 平間重助(ひらま じゅうすけ)
- 野口健司(のぐち けんじ)
- 佐伯又三郎(さえき またさぶろう)
試衛館派
- 近藤勇
- 土方歳三(ひじかた としぞう)
- 沖田総司(おきた そうじ)
- 山南敬助(やまなみ けいすけ)
- 永倉新八(ながくら しんぱち)
- 原田左之助(はらだ さのすけ)
- 井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)
- 藤堂平助(とうどう へいすけ)
- 斎藤一(さいとう はじめ)
その他・諸派
- 殿内義雄(とのうち よしお)
- 家里次郎(いえさと つぐお)
- 根岸友山(ねぎし ゆうざん)
- 遠藤丈庵(えんどう じょうあん)
- 清水吾一(しみず ごいち)
- 鈴木長蔵(すずき ちょうぞう)
- 神代仁之助
- 粕谷新五郎(かすや しんごろう)
- 阿比類鋭三郎(あびる えいざぶろう)
※1人多いが、諸説あり(田中伊織≒新見錦?)。
他の者たちはゾロゾロ江戸へと帰っていく中、京都に留まった仁之助たちの新たな物語が幕を開けたのでした。
京都から脱出、かつての仲間たちと合流
が……。壬生浪士組は結成当初から内輪もめが絶えず、大きく三派に分裂します。
- 近藤勇ら試衛館派
- 芹沢鴨ら水戸派
- 殿内義雄ら諸派?
ゴリゴリ佐幕思想の試衛館派、バリバリ尊攘思想の水戸派。両極端に属し切れなかった?者たちが身を寄せ合ったのが殿内派……といったところでしょうか。
のっけから嫌な予感しかしませんね。
嫌な予感は的中して殿内義雄は暗殺され、殿内派の有力者であった家里次郎は切腹に追い込まれます。
3月25日……殿内義雄、暗殺。
4月24日……家里次郎、切腹。
さぁ始まりました、壬生浪士組名物・内部粛清「士道不覚悟」。初期のころはまだ隊規も充分定まっていなかったでしょうが、ともあれ粛清の嵐が吹き荒れるのでした。
「どうする?このままだと遠からず仲間に殺されることに……」
「かと言って試衛館派・水戸派のどちらにも属したくないし、別組織として独立できる基盤もない……」
「そうだ 江戸、帰ろう!」
ということで、仁之助は根岸友山らと共に京都を脱出。江戸に帰ってきたのでした。
「で。これからどうする?」
「そうさな。先に帰ってきた連中が新徴組というのを組織したみたいだから、そこの世話になろう」
「何か気まずいな……」
啖呵を切って「京都に残る!」と言ったはいいものの、居場所を失って江戸へ逃げ帰って来たようにしか見えません。まぁ実際そうなのですが……。
ともあれ仁之助たちは新徴組隊士として、江戸市中の警固に当たるのでした。
エピローグ
仁之助はその後、元治元年(1864年)6月16日に新徴組を脱退します。
病気が重く任務に堪えないというのが退職理由でした。果たして事実なのか。あるいは気まずかったのでしょうか。
新徴組を脱退後、仁之助の末路について詳しいことは分かっていません。
間もなく病死してしまったのでしょうか。長生きしていてくれたらいいのですが……。
今回は幕末を生きた神代仁之助の生涯をたどってみました。
結果こそ思わしくなかったものの、自分の志を遂げようと行動を起こしたその心意気は、やはり志士と呼ぶに相応しいと思います。
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