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【歴人録】錦織友一(吉沢亮)のモデル・西田千太郎とは何者?大磐石と呼ばれた秀才の生涯をたどる【朝ドラばけばけ】

明治時代
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英語教師 / 錦織友一(にしこおり ゆういち)

松江随一の秀才で、「大磐石(だいばんじゃく)」の異名を持つ。松江中学で英語教師を務め、外国人教師として松江にやってきたヘブンを公私でサポートする。トキとも奇妙な縁で知り合い、深く関わっていく。

※NHK「ばけばけ」公式サイトより。

ヒロイン夫婦と深い関係を築いていく錦織友一(吉沢亮)。そのモデルは西田千太郎(にしだ せんたろう)と言われています。

果たしてどんな人物だったのか、今回は西田千太郎の生涯をたどってみましょう。

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教育一筋に駆け抜けた生涯

若き日の千太郎(イメージ)

西田千太郎は文久2年(1862年)9月18日、松江藩士・西田半兵衛(はんべゑ)の長男として、現代の島根県松江市で誕生しました。

19歳となった明治13年(1880年)に教員伝習校(現代の松江中学校)へ授業手伝として就職。以来教育者としてのキャリアを歩みます。

  • 明治19年(1886年)姫路中学校の教員に(25歳)
  • 明治20年(1887年)香川県坂出私立済々学館の教長に(26歳)
  • 明治21年(1888年)島根県尋常中学校の教諭に(27歳)
  • 明治22年(1889年)島根県尋常中学校の教頭心得を兼務(28歳)
  • 明治24年(1891年)島根県尋常中学校の校長心得に(30歳)

……何ともトントン拍子に出世?していきますが、よほど優秀だったのでしょうか。

それにしても、ほぼ毎年大きな変化があり、目が回りそうですね。

島根県尋常中学校では財政再建や授業改善に尽力、その手腕が高く評価されました。

明治23年(1890年)には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を島根県尋常中学校の講師に迎え、大きな信頼を寄せられたことが知られています。

また明治27年(1894年)には島根県私立教育会から功績賞を受賞。明治28年(1895年)には日本弘道会の松江支会長に就任しました。

しかし千太郎は結核を患っており、明治30年(1897年)3月15日、36歳という若さで世を去ってしまったのです。

小泉八雲との交流や家族たち

千太郎とクラ(イメージ)

松江市が誇る教育者として活躍した西田千太郎は、小泉八雲が最も信頼する人物の一人としても知られています。

小泉八雲が小泉節子(小泉セツ)と結婚する際には媒酌人を務めていることから、信頼関係の強さが分かるでしょう。

そんな千太郎自身は明治17年(1884年)に安食クラ(あじき〜)と結婚しました。

同年に長女の西田キンが生まれているので、恐らくは(今時で言う)授かり婚だったのかも知れません。

それから明治21年(1888年)に長男の西田哲二(てつじ)、明治24年(1891年)に次男の西田敬三(けいぞう)、明治27年(1894年)に西田兵四郎(へいしろう)が誕生しました。

千太郎が世を去った明治30年(1897年)時点で、上からそれぞれ14・10・7・4歳。まだまだ親の養育が必要な4人の子供を抱えて、クラは大変だったことでしょう。

終わりに

吉沢亮演じる錦織友一。朝ドラ「ばけばけ」公式サイトより。🄫NHK

今回は錦織友一のモデル・西田千太郎について、その生涯をたどってきました。短くも教育一筋に駆け抜けた姿は、今も多くの人々から慕われています。

果たして朝ドラ「ばけばけ」では、どんなアレンジがされるのでしょうか。吉沢亮の活躍を見守っていきましょう!

※参考文献:

  • 伊藤菊之輔『島根県人名事典』国書刊行会、1980年5月
  • 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年11月
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