♪むつき はねつき つばきもち うめの花さく うぐいすもち……♪
※やまがたすみこ「くいしんぼうのカレンダー」より
子供の頃から歌では聞いていましたが、うぐいす餅とはどんな餅なのか、知りませんでした。餅にうぐいす餡でも入っているのでしょうか。
調べてみると、どうやら豊臣秀長が兄・秀吉のために作らせたお菓子だそうで、今回はそんな「うぐいす餅」誕生秘話を紹介したいと思います。
秀長の無茶ぶり「何か兄が喜びそうないい感じの茶菓子を作って」

天正13年(1585年)に大和国を与えられ、大和郡山城(大和郡山市)へ入った秀長。ここは秀吉の本拠地である大坂や朝廷のおわす京都に近く、まさに豊臣政権の土台を支えるには絶好の地でした。
ある時、秀吉が大和郡山城を視察することに。そこで秀長は茶の湯でもてなすため、お抱えの菊屋治兵衛(きくや じへゑ)にお茶請けの菓子を作るよう命じます。
「兄は新しいものや珍しいものがお好きじゃから、何かそのような茶菓子を考えてほしい」
「へえ、承知いたしました」
「あと忘れてはならんのが、兄は派手好み……もとい、華やかさがなくてはならん。と言ってあまり下品になってはいかんから、その辺りも塩梅よく頼むぞ」
新しくて珍しくて華やかで、かつ品のある茶菓子……さて何を作ったものか、治兵衛は考え込んだことでしょう。
ともあれ、命じられた以上、期待に応えない訳にはいきません。そこで治兵衛が知恵を絞ってこしらえたのが、現代で言うところのうぐいす餅でした。

粒餡を餅の薄皮で包み、その上から黄粉をまぶしたその餅を、秀吉は大層お気に召したということです。
「この餅を、うぐいす餅と名づけよ」
ちょうど梅の季節だったのでしょうか。梅と言えばうぐいすで、うぐいす餅としたのかも知れませんね。
※現代のうぐいす餅は青大豆の黄粉を使っているため、うぐいす色っぽく見えますが、当時のうぐいす餅は普通の黄粉を使っていたそうです。
やがてうぐいす餅は「御城之口餅(おしろのくちもち)」と呼ばれるようになりますが、これは菊屋が大和郡山城から最も近い「お城の口」に位置していたことに由来します。
かくして四百年以上の歳月を越えて、うぐいす餅は人々から愛されたのでした。
終わりに

今回は豊臣秀長が菊屋治兵衛に作らせた「うぐいす餅(御城之口餅)」について、その誕生秘話を紹介してきました。
うぐいす餅を食べた人の話では「薄い餅の皮が粒餡の食感と甘みを引き出し、ちょうどよい黄粉の香りと相まって絶妙な味わいだった」とのこと。筆者も一度食べてみたいものです。
果たしてこのエピソードがNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも出て来るのか、今から楽しみにしています。
※参考:


