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【歴史旅】ペリーが「敬礼」した唯一の日本人・佐久間象山を偲ぶ顕彰碑~横浜・野毛山公園~

幕末維新
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JR桜木町駅から徒歩13分(800m)、野毛山公園の一角に、その石碑はたたずんでいました。

「横浜開港の先駆者 佐久間象山の碑」

佐久間象山の碑。筆者撮影

佐久間象山(さくま しょうざん)と言えば、信州松代藩(真田家。長野県長野市)に仕えた幕末の天才。その言動からナントカと紙一重なところはありましたが、横浜開港ひいては幕末維新に多大な影響を与えたことは疑いないでしょう。

今回はそんな佐久間象山を讃えた石碑を紹介したいと思います。

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碑文を読んでみると……。

佐久間象山の碑・碑文。筆者撮影

【表面】

横浜開港の先覚者 佐久間象山の碑

安政元年一八五四年米国の使節ペリーが来朝のおり 松代藩軍議役として横浜村にいた佐久間象山先生は 当時の新思想家でありまた熱心な開国論者であつた 先生は日本が世界の先進国からとり残されることを憂え幕府の要路に対してしばしば欧米諸国との通商交易の必要なことを献策した またその開港場として横浜が最適地であることを強く主張し幕府の決意を促して 国際港都横浜の今日の発展の緒を作つた 不幸にも先生はその後京都に遊説中攘夷派刺客の凶刃のために木屋町三条で客死した 時に元治元年一八六四年七月十一日のことであつた 本年はたまたま開国百年の記念すべき年に当るのでわれわれ有志相はかりその功績をたたえるためにここに顕彰の碑を建て 永く後世に伝えることとした

昭和二十九年十月一日
佐久間象山顕彰会
横浜市長 平沼亮三書

※漢字は現代の書体に直しています。

調べて見たら、横浜市鶴見区に松原石材店があった。同じ店だろうか。筆者撮影

【裏面】

鶴見 松原石材店刻

あえて訳す必要はありませんね。今回碑文を読んで面白かったのが……。

「たまたま」って何ですか。そんな思いつきで顕彰碑を建立するもんじゃないでしょう。ちゃんと開港100年を記念して計画していたんですよね?

それとも「急に建立したものだから、碑文の拙さはご容赦ください」という予防線を張ったのでしょうか。

いずれにしても、佐久間象山顕彰会の皆さんが思いを込めて建立したことはよく伝わりました。

あの傲慢なペリー提督が唯一「敬礼」したのはなぜ?

ペリー(画像:Wikipedia)この男によって、日本国は弱肉強食の激動世界へ投じられることとなった。

日本に開国を迫ったペリーと言えば、徳川幕府に対して降伏の白旗を贈りつける(※)など、傲慢な振る舞いで知られています。

(※)開国せよ。さもなくば武力ずくで開国させる。そうなれば貴国は必ず敗北するであろうから、あらかじめ降伏の印≒機会を与えてやろう……という脅迫です。言うまでもなく外交上極めて非礼なことであり、フィルモア大統領からも「そういう事はするな」と釘を刺されていました。

日本人など極東の小さな島国に棲息する黄色い猿に過ぎない……完全に見下していたペリーが、佐久間象山にだけは敬礼したというのです。

ある意味で傲岸不遜とも見える、堂々とした立ち居振る舞い、気魄に満ちた風貌そして知見に富んだ言説。これらの要素が、ペリーをして只者ではないと畏怖せしめたのでしょう。

ちなみにペリーの敬礼を受けた佐久間象山が、どんな「答礼」を示したのか、詳しいことはわかっていません。が、きっと颯爽と返して、度肝を抜いてやったことでしょう。

佐久間象山とは何者か?軽くおさらい

佐久間象山(画像:Wikipedia)

そんな佐久間象山について、今さらですが軽くおさらいしたいと思います。

佐久間象山は江戸時代後期の文化8年(1811年)に信州松代藩で誕生しました。幼少期から才気煥発だった象山は松代藩主の真田幸貫(ゆきつら)に抜擢され、洋学研究を命じられます。

嘉永5年(1582年)に江戸へ赴任した象山は幕府に対して横浜開港を献策。これが横浜の今日をもたらすキッカケとなりました。

しかし嘉永7年(1854年)、門弟の吉田松陰がアメリカ密航を企てる事件を起こしてしまい、師であった象山もこれに連座させられてしまいます。

文久2年(1862年)まで故郷で蟄居した後、象山は一橋慶喜(徳川慶喜)の招きで上洛し、公武合体(朝廷と幕府の協調)および開国論を説きました。

しかしこれが売国行為と危険視され、攘夷派志士の河上彦斎(かわかみ げんさい)らに斬られて命を落とします。時に元治元年(1864年)7月11日、享年54歳。

終わりに

野毛山公園の一角。筆者撮影

今回は横浜開港の先覚者である佐久間象山の碑を通じて、その功績や生涯をたどってきました。

兇刃に命を落とした佐久間象山ですが、その思想は多くの門弟たちに大きな影響を与えています。

【主な門弟】
・岡見清熙(おかみ きよひろ):兵学者・蘭学者
・勝海舟(勝安芳):陸軍総裁・海軍卿
・加藤弘之(かとう ひろゆき):思想家・教育者
・河合継之助(かわい つぎのすけ):長岡藩士。戊辰戦争で討死
・北沢正誠(きたざわ まさなり):松代藩士・地理学者
・小林虎三郎(こばやし とらさぶろう):長岡藩士。米百俵で有名
・坂本龍馬(坂本直柔):亀山社中(海援隊)代表
・橋本左内(橋本綱紀):福井藩士。安政の大獄で死罪に
・山本覚馬(やまもと かくま):会津藩士・政治家
・吉田松陰(吉田矩方):思想家・教育者

また象山を斬った河上彦斎は、後に象山の偉大さを聞かされて、斬ってしまったことを後悔。以来、暗殺稼業から引退しました。

賛否両論あった人物ですが、激動の幕末を生き抜いた一人の志士を悼む縁(よすが)として、石碑は今も野毛山にたたずんでいます。

「佐久間象山の碑」ギャラリー

「佐久間象山顕彰碑」入口。筆者撮影
先に進むと庭園が設えてある。筆者撮影
石碑を側面からみたところ。筆者撮影

「佐久間象山の碑」アクセス

  • 京急本線「日ノ出町駅」から徒歩9分(550m)
  • JR「桜木町駅」から徒歩13分(800m)

※参考文献:

  • 『横浜市史 第2巻』横浜市、1959年3月
  • 『水と港の恩人H.S.パーマー』横浜開港資料館、1987年8月
  • 源了圓『読みなおす日本史 佐久間象山』吉川弘文館、2022年6月
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