日本初の看護師「明治のナイチンゲール」として活躍した大関和(おおぜき ちか)と鈴木雅(すずき まさ)。
第114作朝ドラ「風、薫る」では、それぞれ一ノ瀬りん(見上愛)・大家直美(上坂樹里)という役名で活躍します。
今回は彼女たちに看護学を教授したアグネス・ヴェッチ(Agnes Vetch)について紹介。果たして彼女はどんな生涯をたどったのでしょうか。
日本に看護医療の近代化をもたらす

アグネス・ヴェッチは1845年、スコットランドのエディンバラで誕生しました。
19歳となった1874年にナイチンゲール看護学校(エディンバラ王立救貧病院看護学校)の第一期生として入学、看護学を修得します。
1876年に卒業してからはロンドンのセント・メアリー病院で看護婦として勤務。3年後の1879年に帰郷、実兄の事情で1881年に退職しました(この期間中、ずっと休職していたのでしょうか、あるいは頻繁に行き来のかも知れません)。
同時に遠く清朝(中国大陸)へ移住しますが、随分と思い切った決断ですね。実兄と何か関係があったのでしょうか(例えば実兄が独りになるアグネスを案じたとか、離れたくなかったとか)。
しばらく大陸で生活していたアグネスに転機が訪れたのは、42歳となった明治19年(1886年)。彼女は明治政府からの招聘を受けて来日し、桜井女学校付属看護婦養成所で教鞭を執ることになったのです。
アグネスはこの時に大関和や鈴木雅らと出会い、西洋式の看護術を指導。日本における看護医療の近代化に大きく貢献しました。
また帝国大学医科大学附属第一医院(現 東京大学医学部附属病院)で看護師としても勤務しており、医療現場における実践的なノウハウも伝授したことでしょう。
明治21年(1888年)11月に任期が満了したため離日。帰国したということです。
その後、アグネスがどのような活動を行っていたかはよく分かっていません。昭和20年(1945年)に100歳(長寿!)で世を去ったと言います。
アグネス・ヴェッチ略年表

- 1845年 スコットランドのエディンバラで誕生
- 1874年 ナイチンゲール看護学校に入学
- 1876年 同校を卒業後、セント・メアリー病院で看護師として勤務
- 1879年 帰郷
- 1881年 実兄の都合で退職、清朝へ移住
- 1886年 明治政府の招聘で来日、桜井女学校看護婦養成所で教鞭を執る
- 1888年 任期満了により帰国
- 1945年 死去
終わりに
今回は大関和と鈴木雅の師となったアグネス・ヴェッチの生涯をたどってきました。
たった2年間の交流ですが、日本の看護医療に大きな躍進をもたらした功労者として、現代にその名が伝わっています。
朝ドラ「風、薫る」における役名はまだ分かりませんが、果たしてどんな女性としてアレンジされるのでしょうか。
また、誰がキャスティングされるのかも楽しみですね!
※参考文献:
- 亀山美知子『女たちの約束 M・T・ツルーと日本最初の看護婦学校』人文書院、1990年10月

