蔦屋重三郎(蔦重)が才能を発掘し、当代一の浮世絵師として売り出した喜多川歌麿(うたまる/うたまろ)。彼は蔦重の狙い通り、いかんなく画才を発揮。人気絵師として大いに活躍しました。
今回はそんな喜多川歌麿の妻(と考えられている女性)を紹介。果たしてどんな人物なのでしょうか。
歌麿の門人•浮世絵師として活動

喜多川歌麿の妻は、その名を喜多川千代女(ちよじょ)と言います。
※〜女は女性に対する敬称なので、本名は単に千代でしょう。
苗字というか屋号は結婚したから変えた……のではなく、門人として喜多川の名乗りを許されたのでした。
彼女の出自や家族について、詳しいことは分かっていません。
浮世絵師としては天明4年(1784年)から天明5年(1785年)にかけて、黄表紙の挿絵を描くなどの活動が見られます。
【喜多川千代女の作品】

天明4年(1784年)
- 四方赤良『金平子供遊(きんぴらこどもあそび)』
- 四方赤良『年始御礼帳(としはじめのおんれいちょう)』
天明5年(1785年)
- 桜川杜芳『嘘皮初音鼓(うそのかわはつねつづみ)』
- 恋川春町『元利安売鋸商内(がんりやすうりのこぎりあきない)』
- 唐来参和『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』
これ以降は作品を残した形跡が見られず、何があったのか気になるところです。
※結婚を機に引退した……というのも考えにくいでしょう。
文化3年(1806年)に喜多川歌麿と死別した後、二代目恋川春町こと小川市太郎(おがわ いちたろう)と再婚。
婿となった市太郎は二代目喜多川歌麿を襲名しました。
何となく、市太郎が喜多川歌麿を襲名するために彼女を利用した印象が拭えませんね。
その後、彼女がどのように暮らしたのか、いつごろまで生きていたのかは不明です。
喜多川千代女/基本データ

本名:千代(苗字は不詳)
生没:生没年不詳
出身:不詳
出自:不詳
家族:不詳
職業:浮世絵師
活動:天明4年(1784年)〜天明5年(1785年)
伴侶:初代(先夫)•二代目(後夫)喜多川歌麿?
子女:不詳
終わりに
今回は喜多川歌麿の妻と考えられている喜多川千代女について、その生涯をたどってきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に、彼女は登場するのでしょうか。
もし登場するなら誰がキャスティングされるのか、予想してみても面白いですね!
※参考文献:
- 日本浮世絵協会 編『原色浮世絵大百科事典 第2巻』大修館書店、1982年8月