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【歴人録】服部半蔵の助太刀?甲賀衆を率いる伴与七郎とは何者か【どうする家康】

戦国時代
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……半蔵は服部党の子や孫たちを招集したが、忍びの経験のない者がほとんどで、女まで交じっている。

そこで正信は、甲賀衆を率いる忍びの頭目・伴与七郎を仲間に引き入れた。……

※NHK大河ドラマ「どうする家康」前編・第6回あらすじより

第5回放送「瀬名奪還作戦」で壊滅状態に陥った服部党。棟梁の服部半蔵(演:山田孝之)はリベンジを決意しますが、掻き集めた手勢はほとんど戦力になりません。

仕方なく本多正信(演:松山ケンイチ)が甲賀忍者の頭目・伴与七郎(ばん よしちろう。演:新田健太)を連れて来ました。

果たして伴与七郎とは何者で、どんな活躍をみせるのでしょうか。

令和5年(2023年)7月29日(土)追記

第29回放送「伊賀を越えろ!」にも登場するようです。徳川家康の「神君伊賀越え」を助けるのでしょうか。それとも……?

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鵜殿長照を討ち取る大金星

伴与七郎は生年不詳、その出自はほとんど謎となっています。『三河後風土記』によれば諱は伴資定(すけさだ)とも。

永禄5年(1562年)に松平元康(演:松本潤)が上ノ郷城を攻めた折、甲賀衆を率いて城内へ潜入。

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火計を用いて(火を放って)敵を混乱させ、城主の鵜殿長照(演:野間口徹)を討ち取る武功を立てました。

この時、元康より賜ったとされる感状がこちら。

今度鵜殿藤太郎其方被討取、近比御高名無比類候。我等別而彼者年来無沙汰候。散心霧弥祝着申候。委細左近・雅楽助可申候。恐々謹言
 二月六日 松蔵元康(花押)
   伴与七郎 参

【読み下し】こたび鵜殿藤太郎(長照)その方が討ち取られ、近ごろ比類なきご高名に候。
我ら別して彼の者年来沙汰なく候。心の霧が散じて弥(いや)祝着申し候。委細は左近(さこん)と雅楽助(うたのすけ)申すべく候。恐恐謹言(きょうきょうきんげん)。

【意訳】この度、そなたが鵜殿藤太郎を討ち取ったことは近ごろ比類なき手柄である。
我らはかねて鵜殿と対立しており、悩みが解消されてまことにめでたい。
恩賞など詳しいことは松井忠次(左近)と酒井正親(雅楽助)より改めて通知させる。
以上、謹んで申し上げる。

※「鵜殿系図」伝巻之九

またこの時に長照の子である鵜殿氏長(演:寄川歌太)を生け捕り、弟の鵜殿氏次(演:石田星空)ともども今川に囚われていた瀬名(演:有村架純。築山殿)たちとの交換材料としました。

伴与七郎についてはこれだけですが、『三河後風土記』には彼以外に伴太郎左衛門資家(たろうざゑもん すけいえ)や伴伯耆守資継(ほうきのかみ すけつぐ)などの名前が登場。資の通字(一族で共有する文字)から、同族であったと見られます。

伴与七郎 基本データ

生 没天文元年(1532年)生~慶長19年(1614年)没
通 称与七郎、帯刀(『小浜市史』)
子孫伴資順(子)、高木資祥(孫。改姓)

伴与七郎 略年表

天文元年(1532年)誕生(1歳)
永禄5年(1562年)松平元康の上之郷城攻めに参戦(31歳)
一族の伴資家・伴盛陰・伴資定らと80名を率いて鵜殿長照を討ち取る。この武功により、元康から兜と長刀、感状を賜わるが、仕官は辞退。
慶長19年(1614年)病没する(83歳)

伴与七郎 略系図

……伴与七郎(資定)-伴資順-高木資祥(改姓)……

終わりに

以上、甲賀忍者の伴与七郎について、ごくざっくり紹介してきました。

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果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、与七郎の武勲をどうアレンジされるのでしょうか。

半蔵たち伊賀忍者と武功を競い合うのか、次回もアクションシーンに注目です。

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月
  • 蒲郡市教育委員会 編『蒲郡市誌』蒲郡市、1976年
  • 宇田川武久『改正三河後風土記 上』秋田書店、1976年1月
  • 小浜市史編纂員会 編『小浜市史 藩政史料編2』 小浜市、1985年5月

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