令和5年もよろしくお願いします。

【どうする家康】三河一の色男?粘着質?小手伸也が熱演する「膏薬侍」大久保忠世とはどんな武将だった?

戦国時代
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三河で一番の色男(本人談)

大久保忠世 おおくぼ・ただよ
[小手伸也 こて しんや]

戦場では勇猛果敢な活躍を見せるが、最近、髪が薄くなるのを気にしている繊細な男。身なりに気を配り、「色男」を自称する。面倒見のいいみんなの兄貴。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

令和5年(2023年)NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場、主人公の徳川家康(演:松本潤)を支える譜代の忠臣・大久保忠世(演:小手伸也)。

大久保忠世肖像。小田原城蔵

人物紹介を見る限り、豪快な活躍と繊細さのギャップが魅力的なキャラクターに描かれているようです。

果たしてどんな人物だったのか、今回は大久保忠世の生涯をたどっていきましょう。

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くっついたら離れない「膏薬侍」

大久保忠世は天文元年(1532年)、松平家譜代の家臣・大久保忠員(ただかず)長男として誕生しました。通称は新十郎(しんじゅうろう)、七郎右衛門(しちろうゑもん)。

大久保家は家康の祖父・松平清康(まつだいら きよやす)の代から仕えた忠臣で、忠世もその名に劣らぬ奉公ぶりで世に知られます。

永禄6年(1563年)の三河一向一揆鎮圧や元亀3年(1573年)の三方ヶ原合戦で武勇を奮いました。
武士の器量は負けぶりにこそ表れるもので、三方ヶ原では武田信玄(演:阿部寛)に惨敗したものの、一矢報いてやろうと少数精鋭で武田の陣へ夜襲を敢行。

『三河物語』によれば、信玄をして「さてもさても。うちてもこわき敵丹て有り(意訳:倒しても油断のならない敵だ)」と称賛されたそうです。

更には天正3年(1575年)長篠の合戦においては敵をしつこく追撃したことから、織田信長(おだ のぶなが)から

……さても家康ハ。よき者をもたれたり。我ハかれらホどの者おバもたぬぞ。此者共ハよき可うやくにて有り。敵に盈(み)つたりと付面。は奈れぬと仰■り……

【意訳】家康はよい家臣をもった。我が家中にあれほどの者はおらぬ。彼らはよき膏薬(こうやく。塗り薬)のようで、敵にくっついて離れない。

※『三河物語』より

と誉められました。

同年12月には遠江二俣城主(現:静岡県浜松市)を命じられ、初めて城持ちに。やがて天正10年(1582年)に信長が本能寺で変死、混乱に乗じて家康が5ヶ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)に勢力を伸ばすと、忠世は信州惣奉行として小諸城(現:長野県小諸市)へ移ります。

かくして信濃一国を任されるに至った忠世。しかし天正13年(1585年)に真田昌幸(さなだ まさゆき)の上田城を攻めた時は大軍に驕ったためか、鳥居元忠(演:音尾琢真)や平岩親吉(演:岡部大)と共に敗北を喫しました。

天下に名高い小田原城。

天正18年(1590年)に家康が旧領の5ヶ国から関東へ転封されると、羽柴秀吉(はしば ひでよし)の命によって忠世は小田原に4万5千石を与えられます。

そして文禄3年(1594年)に63歳で世を去り、家督は嫡男の大久保忠隣(ただちか)が継いだのでした。

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終わりに

以上、大久保忠世の生涯をごく駆け足でたどってきました。負けても夜襲で一矢報いたり、勝てば敵をしつこく追撃したり、と膏薬に喩えられた粘り強さが持ち味。

他にも崖から落ちても這い上がって敵を倒したり、節約のため週1で断食したりなど、気合と根性なら家中随一かも知れません。

なお、弟の大久保忠佐(ただすけ。治右衛門)・大久保忠教(ただたか。彦左衛門)も、兄に負けず劣らず武骨きわまる偏屈者。できれば三兄弟そろい踏みで登場してほしいところ。

小手伸也演じる大久保忠世。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

また頭髪の薄さと「色男」属性については何が元ネタなのか、ちょっと気になりますね。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」ではどんな武勇伝を魅せてくれるのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 大久保忠教『三河物語』日本戦史会、国立国会図書館デジタルコレクション
  • 伊藤賀一 監修『家康の戦略を支えた最強徳川家臣団のすべて』宝島社、2022年11月
  • 野中信二『徳川家康と三河家臣団』学陽書房、2022年12月16日
  • 『徳川四天王 精強家康軍団奮闘譜』学研プラス、1991年1月

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