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勇気百倍で戦うべし!加藤清正が朝鮮出兵(文禄の役)で将兵に下した軍令を紹介【どうする家康】

戦国時代
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豊臣家の命運を握る名将

加藤清正 かとう・きよまさ
[淵上泰史 ふちかみやすし]

幼いころから秀吉に仕えてきた豊臣家の名将。文武に優れ、小牧・長久手の戦いで徳川軍と対決した際は、その強さを実感する。後に家康と親交を深め、ポスト秀吉時代のキーマンとなる。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より

羽柴秀吉(はしば ひでよし。豊臣秀吉)の小姓として仕え、初陣いらい数々の武勲を重ねた猛将・加藤清正(かとう きよまさ)。

数々の武功を立てた名将・加藤清正。楊洲周延筆

こと天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦では、目覚ましい軍功を立てたことから「賤ヶ岳七本槍」の一人として勇名を馳せます。

そんな清正の強さは個人的な武勇に留まらず、将兵を率いる統率手腕にも裏づけられていたようです。

今回は文禄の役(天正20・1592年~文禄2・1593年)における清正の軍令を紹介。文禄2年(1593年)6月、清正らが李氏朝鮮国の晋州(慶尚道晋州市)を攻略せんとしていた時のことでした。

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晋州城攻防戦に臨み、清正の発した十ヶ条

一、今度、晋州表へ働くに付て、武篇進を欠き候事は、書付に及ばず。城責に付て、仕寄道具の普請、昼夜の番等、油断あるべからざる事

【意訳】今回の晋州攻略作戦において、武勇を奮わぬ者は書きつける(査定帳簿≒評価)に値しない。

城攻めも行うため、仕寄道具(攻城に要する防具や構築物)の準備や襲撃の警戒などを怠らぬように。

一、此度、武篇にても、仕寄、普請、並番等にも人にすぐれたる輩あるに於ては、五石三石の侍は、五百石三百石の身体たるべし。その上の侍はその身上により、一応身体取立つべき事

【意訳】今回の合戦においては通常以上の活躍を期待している。五石どり、三石どりの小身でも五百石・三百石どり≒名高い武士のつもり(百倍の心意気)で戦え。それ以上の者たちも、同じく心がけよ。

一、今まで人に背腹をきらせたることこれなく候えども、此度、無所存の輩これあるに於ては、八幡大菩薩、腹を切らせ申すべき事

【意訳】これまで、家臣に切腹を命じたことはない。しかし今回の決戦において不覚悟の者があれば、八幡大菩薩に誓って切腹を命じるゆえ、覚悟せよ。

一、今度は上下ともに番普請の時身をたて、手足をよごしかね候わば、おくびょう者になし、成敗せしむべき事

【意訳】今回の作戦においては、身分の上下なく皆が全力で臨まねばならない。見張り番や土木作業において「自分の身分で、かような汚れ仕事はできぬ」などと担当を拒否する者があれば、臆病者と見なし処刑する。

一、手柄の働きなせし者、組頭並に組中として穿鑿を究め、えこひいきなく、誓紙を仕置き、下々迄かせぎ候よう申付べき事

【意訳】武功を立てた者について、その貢献度を組中においてよく調査して、えこひいきなく評価する。天地神仏に誓うから、その事を部下たちによく伝えよ。

一、内之者に武者をさせ候わば、我と槍をつき候よりも、手柄たるべき事

【意訳】内之者(詳細不明。内応者?)に武者をさせた=戦わせた者は、我(清正)と槍を突く共に戦う以上の手柄である。

※敵を調略し、中から撹乱させた者を評価する、という意味でしょうか。

一、鉄砲頭は日来申し付けの如く、鉄砲を役に立て、その次は槍、太刀、刀の衆へわたし、その後を心がけ、後詰肝要たるべき事。附、一身一身の働きまでは、武者の内にてはあるまじき事

【意訳】鉄砲頭には日ごろ申しつけてあるように、まずは銃撃を加え、続いて槍や太刀・刀(大小の刀程度の意味か)に突撃させよ。

それから援護射撃に務めるのだが、誰が誰を撃ったなどと個人々々を評価していられない(故に部隊単位で評価する)。

一、何方に陣取候とも、清正にしらせず、乱妨狼藉に、下人を一人遣す者これあるに於てはその主人にかかり、成敗せしむべく候。下々の人足以下まで、よく申し聞すべく候。今度は武篇を仕りても、法度悪く候えば何事も不入物になり候事。いずれにても他所へ陣見舞、夜昼にかぎらず、禁ぜしめ候間、一切仕りまじく候。自然文の取かわしは、くるしからず。もし尋ね候時、居合さず候わば、当座は過怠、以後は何と成るべく候哉、究りこれなく候

【意訳】どこに布陣するにしても、無断で乱暴狼藉に及んだ者は主人と共に成敗する。このことを末端の者にまで徹底せよ。

今回はいくら武功を立てようと、軍律違反を行ったものはすべて帳消しとするから、そのつもりでいるように。

またいかなる事情があろうとも、友軍への陣中見舞いを昼夜問わず一切禁じる。ただし連絡文のやり取りについては問題ない(もちろん必要最小限とせよ)。

もし勝手に持ち場を離れるようなことが発覚すれば、職務怠慢としてどのように処罰されるかは、究りがない(処罰重度の際限がない≒極刑に処する)。

一、下々馬のとりはなし申しまじく候。もし隣の陣取に何事の候とも、心がけ下知を相待つべきの事

【意訳】馬を脱走・暴走させぬように。隣の陣中で何か騒ぎがおきても、取り乱すことなく(まして混乱に乗じて騒ぎ出すようなことなく)落ち着いて下知を待つように。

一、小屋火の用心、ならびの小屋、番組中として、申し合すべき事

【意訳】滞陣中は家事など出さぬよう火気の取り扱いには厳重な注意を払い、交代で見回りをするよう各部隊で取り決めておくこと。

右の条々いささかも相違あるべからず。もし違犯の輩これあるに於ては、速に厳科に処すべきもの也

文禄二年六月十一日   清正 花押

【意訳】以上の取り決めを、少しもたがえてはならない。もし違反者があれば、速やかに厳罰に処する次第である。

文禄2年(1593年)6月11日 加藤清正(花押=サイン)

……いかにも武勇を重んじる清正らしい軍令でしたね。「5石、3石どりの小身であっても、百倍の心意気をもって奉公せよ」という部分が特に好きです。

また「身分の高さにおごり、地道な汚れ仕事を嫌がる者は臆病者として成敗する」というのも、叩き上げの清正らしさが感じられます。

こういう取り決め事というのは、人によってちょっとずつ違いが出ており、個性がにじみ出るのが興味深いですね。

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第二次晋州城攻防戦・基本データ

虎退治の武勇伝でも知られる加藤清正。橋本周延筆
戦 期文禄2年(1593年)6月21日~同年6月29日(9日間)
戦 場李氏朝鮮国慶尚道晋州城(現:大韓民国慶尚南道晋州市)
戦 力豊臣政権 約92,000人/李氏朝鮮 約20,000人
戦 果日本軍(豊臣政権)の勝利、李氏朝鮮軍の全滅
指揮官李氏朝鮮:金千鎰・黄進・崔慶会ら
豊臣政権:石田三成・宇喜多秀家・加藤清正ら

かくして厳正な規律のお陰か、勝利を勝ち取った豊臣軍。第一次晋州城で敗れてしまったリベンジを果たしました。

清正たちはその後も各地で奮戦しますが、やがて泥沼へ突入していくことになります。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、清正たちの戦いぶりがどのように描かれるのか、とても楽しみですね!

※参考文献:

  • 稲垣史生 編『戦国武家事典』青蛙房、1981年7月
  • 中野等『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』吉川弘文館、2008年1月

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