NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第37回放送「地獄に京伝」の予告で、山東京伝(古川雄大)と女性が話していました。
「惚れ直しんした?」
彼女は菊園(望海風斗)、扇屋の遊女です。

以前から言及されていた京伝の敵娼(あいかた)ですが、果たしてどんな生涯をたどったのでしょうか。
煮え切らない京伝
菊園(きくぞの。実名不詳)は宝暦14年(1764年)に誕生しました。
後に夫となる京伝より3歳年少、家族や出身地、吉原遊郭へ売られてきた経緯などは不明です。
吉原遊郭では扇屋宇右衛門(山路和弘)のお抱えとなり、天明5年(1785年)ごろに京伝との関係が深まりました。

京伝の敵娼と知られれば、他に菊園と関係を持とうとするお客もいません。
ほどなく京伝に身請けされて、幸せに暮らす……ものと思われましたが、そんな話のないまま、寛政元年(1789年)に年季が明けたのでした。
これで晴れて自由の身……しかし菊園は扇屋に留まり、花扇(はなおおぎ)花魁の番頭新造として勤め続けます。
番頭新造とは花魁の秘書役や妓楼の中間管理職。まだ借金が残っていたのか、あるいは行く先がなかったのかも知れません。
行く先候補の京伝が煮え切らないので、どうすればいいか困ってしまった菊園を見かね、扇屋宇右衛門は菊園を京伝のもとへ送りつけました。
「先生、どうか菊園を妻に迎えてやって下せぇよ」
他のお客が敬遠するほど周知の関係になっておきながら、肝心の京伝から捨てられてしまったら、菊園があまりにも哀れすぎます。
流石の京伝も観念して、ここが年貢の納め時と菊園を妻に迎えたのでした。
二人の結婚は寛政2年(1790年)2月。菊園27歳の時と言います。
わずか3年の結婚生活

京伝に嫁いだ菊園はお菊と名を改め、甲斐甲斐しく京伝をサポートしました。
器量よしで愛想がよく、義両親とも円満な関係を築いて気に入られたそうです。
このまま幸せに天寿をまっとうしてほしいところですが、残念ながらそうはいきませんでした。
永年の過酷な遊女暮らしがお菊の身体を蝕んでいたようで、お菊は血道(ちのみち。子宮がん?)を患い、倒れてしまいます。
がんの苦しみは大変なもので、悶えのたうつお菊を見るに忍びないと、京伝は吉原遊郭へ逃げ出してしまいました。
夫に見放されてしまったお菊の孤独と悲痛は、想像するだけで胸が痛みます。
流石に義両親くらいは付き添っていたでしょうが……。
そして寛政5年(1793年)、お菊は世を去ってしまいます。享年30歳、結婚からわずか3年しか経っていませんでした。
終わりに

菊園(お菊)基本データ
- 生没:宝暦14年(1764年)生~寛政5年(1793年)没
- 名前:不詳⇒菊園⇒お菊
- 出身:不詳
- 家族:不詳
- 職業:吉原遊女(扇屋)
- 伴侶:山東京伝
- 子女:不明(なし?)
- 死因:血道
菊園(お菊)関連略年表
- 宝暦14年(1764年) 誕生(1歳)
- 安永8年(1779年)ごろ 扇屋に売られる?(16歳)
- 天明5年(1785年)ごろ 京伝の敵娼に(22歳)
- 寛政元年(1789年) 年季明け(26歳)
- 寛政2年(1790年) 京伝と結婚(27歳)
- 寛政5年(1793年) 血道で死去(30歳)
今回は京伝の妻となる菊園(お菊)について、その生涯をたどってきました。
永年の思いが実ったものの、その最期に胸を痛めずにはいられません。
菊園
北尾政演/山東京伝(古川雄大)のなじみの座敷持花魁。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
■望海さんのコメント
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
このたび、NHKの大河ドラマに初出演させていただくことになりました。
歴史ある大河の世界に出演させていただくことは、大変嬉(うれ)しく、そして身の引き締まる思いです。
政演(山東京伝)との二人の関係性がコミカルで面白く描かれていますので、どうぞ楽しみにご覧いただけたら嬉しいです。
果たして京伝との絆がどのように描かれるのか、望月海斗の好演に期待しましょう!
※参考文献:
- 小池藤五郎『人物叢書 新装版 山東京伝』吉川弘文館、1989年9月
- 佐藤至子『山東京伝 滑稽洒落第一の作者』ミネルヴァ書房、2009年4月