人間の本性とは、切羽詰まった時にこそ現れるもの。
調子のよい時は愛想よくつき合っておきながら、いざ都合が悪くなると知らんふりを決め込むような手合いは、いつの時代も絶えないものです。
しかし、人間そんなもの(少なくともそういう手合いがいる)と分かっているなら、誰がここ一番で信用できるのか否か、あらかじめ知っておくことでいざという時に慌てずにすみます。
そこで、今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、その人がいざという時に頼りになるのかを見抜く知恵を紹介したいと思います。
難儀の時大方にする者は……
九四 「人の心を見んと思はば煩へ。」と云ふことあり。日頃は、心安く寄り合ひ、病氣又は難儀の時大方にする者は腰ぬけなり。すべて人の不仕合せ時別けて立ち入り、見舞・附届仕るべきなり。恩を受け候人には、一生の内疎遠にあるまじきなり。斯様の事にて、人の心入れは見ゆるものなり。多分我が難儀の時は人を頼み、後には思ひも出さぬ人多し。
※『葉隠』巻第一より
【意訳】「その人の本性を見抜くためには、煩え(患え)=病気をしろ」ということわざがある。
平素は親しくつき合っておきながら、病気などいざ大変な時になってぞんざいな対応しかしない者は卑怯である。普段のつき合いはさておいても、不幸に襲われた時にこそ、見舞いや援助など力になってあげるのが、真の友と言うものだ。
共に苦難を乗り越え、恩を受けた間柄の者は、一生大切にすべき絆となるだろう。
こういう所にこそ、人間の本性は現れ、また誠意を示せるものである。
にも関わらず、日ごろ自分が困った時には人を頼っておきながら、助けてもらった恩義を忘れてしまうような者の、何と多いことだろうか……。
要するに「病気など、困った時に見せる態度がその人の本性」ということですね。
しかし「人の心を見んと思はば煩へ。」とは言っても、本当に大切なのは仮病で他人の気を引き、頼りになるかを見極めることではなく、
「あなたは、かつて助けてくれた恩人が困っているのを、見て見ぬふりしていませんか?」
ということではないでしょうか。
互いに助け合える関係を
自分が大切にされたいなら、まずは相手を大切にすること。
もちろん相手もそういう関係を作りたいと思っているからこそ、あなたの困った時に助けてくれたのでしょう。
いざと言う時に頼りになる人というのは、あなたが助けてあげた人の中から出てくるものです。
互いに助け合い、共に苦難を乗り越えた絆は、生涯の宝となるでしょう。
そもそも武士たる者は独立自尊が大原則。
時に助けてもらうことがあったとしても、それを恃みに依存することなく、受けた恩義はきっちり返す矜恃を持ちたいものです。
※参考文献
- 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月
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