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父の形見の梅の木を…平安時代、紀内侍が詠んだ和歌に恥じ入った村上天皇

古典文学
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節分から立春を迎え、まだまだ寒さがこたえるものの、暦の上では春となりました。

♪むつき はねつき つばきもち
うめの花さく うぐいすもち……♪

※やまがたすみこ「くいしんぼうのカレンダー」より

2月と言えば梅に鶯(ウグイス)、花札でもお馴染みの風物詩として、昔から日本人に愛され続けています。

村上天皇御影。永平寺蔵

今回は梅の花を愛する一人、村上天皇(むらかみてんのう。第62代)のエピソードを紹介。陛下はどんな気持ちで春を迎えられたのでしょうか。

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勅なれば いともかしこし 鶯の……

天暦年間(947~957年)のある時、内裏の清涼殿(せいりょうでん。天皇陛下の生活場所)に植わっていた梅の木が枯れてしまいました。

「春に梅の花を愛でられないのはとても残念である。代わりの梅を探して参れ」

「ははあ」

従者たちはさっそく梅の木を探し回ったものの、なかなかよいものが見つかりません。

「もう随分と都から離れてしまったなぁ……あ、あの梅はどうだ!」

イメージ

郊外の家に一本の紅梅を発見した従者たちは、主命であることを告げてさっそく掘り起こします。

すると、家の中から召使いが出て来て紅梅の枝に短冊を結びつけました。

「……お役人がた、お勤めご苦労様にございます。こちらは主(あるじ)からの文にございますゆえ、どうか主上(おかみ。天皇陛下)にご照覧賜りますよう……」

「あぁ、わかったわかった」

果たして紅梅は清涼殿の庭に移植され、以前にもまして美しい花を前に村上天皇は喜びます。

「……ん?」

枝に結びつけてある短冊を見つけた村上天皇はそれを開いたところ、一首の和歌が詠まれているではありませんか。

勅なれば いともかしこし 鶯の
宿はと問はゞ いかゞ答へむ

……畏れ多くも勅命(ちょくめい。天皇陛下のご命令)とあらば、この紅梅をどうぞお持ち下さいませ。しかし、毎年春になるとこの枝に巣をつくる鶯が「我が家はどうなってしまったのか」と問われたら、私は何と答えればよいのでしょうか。

そんなメッセージを読んだ村上天皇、これはただ者ではないと調べさせたところ、紀内侍(きの ないし)であると判りました。

いとも畏き勅命なれば……泣く泣く紅梅を手放した紀内侍(イメージ)

彼女は『古今和歌集』の選者として知られる歌人・紀貫之(つらゆき)の娘で、父が生前愛していた紅梅を形見として慈しんでいたとのこと。

「だからこんなに美しいのか……それにしても、申し訳ないことをしてしまったものだ」

知らずとは言え無粋の振る舞い、村上天皇はたいへん悔やまれたと言うことです。

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終わりに

以上『大鏡』が伝える鶯宿梅(おうしゅくばい)のエピソードを紹介しました。

紀内侍が詠んだであろう和歌は『拾遺和歌集』に収録されていますが、ハッキリそうとは言えない(≒面と向かって天皇陛下の批判はできない)事情からか、詠み人知らずとなっています。

風雅を求めるあまり、権力にモノを言わせて銘木を入手する行為はかえって野暮というもの。今回の件について、村上天皇はたいそうご自身を恥じ入られたことでしょう。

イメージ

そもそも梅を愛されるのであれば、折れてもえぐれても花を咲かせるほど強い木を枯らせてしまうような失態は犯さないでしょう。

(実際に世話をするのは召使いだとしても、梅のコンディションに不備があれば早急に対処させられたはずです)

いざ春になって、紀内侍の元へ飛んで来ていた鶯がどこに巣をかけたのか、毎年その訪れを楽しみにしていた彼女の胸中が偲ばれます。

※参考文献:

  • 松村博司 校注『日本古典文学大系 大鏡』岩波書店、1960年9月

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