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【歴人録】一条天皇の乳母・橘徳子(小田ゆりえ)とはどんな女性だったのか【光る君へ】

平安時代
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NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?

第13回放送「進むべき道」では、一条天皇(柊木陽太)と隠れんぼをしていた乳母・橘徳子(小田ゆりえ)。

橘徳子(たちばなの とくし/のりこ)とはどんな女性だったのでしょうか。

今回は橘徳子の生涯をたどり、大河ドラマの予習をしたいと思います。

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一条天皇・後一条天皇の二代に使える

一条天皇(画像:Wikipedia)

橘徳子は生年不詳、橘仲遠(なかとお。播磨守)の娘として天徳年間(957~960年)に生まれました(諸説あり)。

天元3年(980年)ごろに懐仁親王(一条天皇)の乳母となります。

やがて兼家政権下で能吏として活躍していた藤原有国(ありくに)と結婚。長徳元年(995年)10月、夫が大宰大弐(だざいのだいに)に任官したため、現地赴任に同行。住み慣れた京を離れます。

そして長保3年(1001年)、任期を満了した夫と共に帰京しました。

再び内裏に勤めた徳子は寛弘2年(1005年)3月、一条天皇の第一皇女である脩子内親王(しゅうし/ながこないしんのう)の裳着で理髪役として奉仕します。

そして寛弘5年(1008年)9月に一条天皇の第二皇子・敦成親王(あつひらしんのう。のち後一条天皇)が生まれると、乳付役を奉仕しました。

乳付役とは形式的にお乳を飲ませる儀式で、実際に母乳が出なくても問題ありません。

すでにアラフィフの徳子が、これまでいかに信頼されてきたかがよく分かります。

七日産養(なぬかのうぶやしない。生後7日祝)では藤原彰子(しょうし/あきこ。一条天皇中宮)から贈り物を賜りました。

その後、寛弘8年(1011年)に夫・藤原有国と死別。その後再婚した様子はありません。

徳子に関する最後の記録は治安2年(1022年)7月。後一条天皇の法成寺行幸に供奉したのでした。

この時点でもう還暦も過ぎているため、当時であれば程なく引退し、世を去ったことでしょう。

橘徳子・略年表

後一条天皇のお乳付役を務める(イメージ)
天徳年間(957~960年)このころ誕生?
天元3年(980年)ごろ懐仁親王(一条天皇)の乳母となる
時期不明藤原有国と結婚する
長徳元年(995年)藤原有国が大宰大弍となり、夫と共に大宰府へ下向する
長保3年(1001年)夫の任期満了により、帰京する
寛弘2年(1005年)脩子内親王の著裳に供奉する
寛弘5年(1008年)敦成親王(後一条天皇)が誕生、乳付役を務める
寛弘8年(1011年)夫の藤原有国に先立たれる
治安2年(1022年後一条天皇の法成寺行幸に供奉する
以降消息不明。没年不詳

橘徳子・基本データ

生 没生没年不詳
両 親父親:橘仲遠/母親:不詳
兄 弟不詳
伴 侶藤原有国
子 女藤原資業(すけなり)
別 名橘三位(きつざんみ)
官 職典侍(ないしのすけ)
位 階従三位(じゅさんみ)

終わりに

以上、一条天皇の乳母を務めた橘徳子の生涯をたどってきました。

後一条天皇の乳付役も務めるほど信頼されていたのがよく分かりますね。

果たして「光る君へ」では、これからも彼女の活躍が観られるのでしょうか。

小田ゆりえの好演に期待しています!

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