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【歴人録】藤原道長の妻たち。その子供たちも一挙紹介!【光る君へ】

道長の妻と子供たち・アイキャッチ 平安時代
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この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
かけたることも なしと思へば

平安時代、娘たちを次々と天皇陛下に入内させ、外戚として権勢を振るった藤原道長。

彼には7人の息子と6人の娘、そして正室と側室のほか、4人以上の妾(しょう/めかけ)がいたと言います(諸説あり)。

今回は道長の野望を支えた6人の妻たち、そして男女合わせて13人の子供たちを一挙に紹介。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」には何人登場するでしょうか。

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道長の正室・源倫子

源倫子(りんし/ともこ)
康保元年(964年)生~天喜元年(1053年)6月1日没

左大臣・源雅信(まさのぶ)と藤原穆子(ぼくし/あつこ)の娘。永延元年(987年)に道長と結婚して鷹司殿(たかつかさどの)と呼ばれました。

【源倫子の子供たち】
長女・藤原彰子(しょうし/あきこ)
長男・藤原頼通(よりみち)
次女・藤原妍子(けんし/きよこ)
五男・藤原教通(のりみち)
四女・藤原威子(いし/たけこ)
六女・藤原嬉子(きし/うれしこ)

道長の側室・源明子

源明子(めいし/あきらけいこ)
康保2年(965年)生~永承4年(1049年)7月22日没

安和の変(安和2・969年)で失脚した左大臣・源高明(たかあきら)と愛宮(あいのみや。藤原師輔女)の間に生まれた娘。道長との結婚時期については倫子より前・後で諸説あるようです。

結婚後は高松殿(たかまつどの)と呼ばれ、4男2女を生んでいます。

【源明子の子供たち】
次男・藤原頼宗(よりむね)
三男・藤原顕信(あきのぶ)
四男・藤原能信(よしのぶ)
三女・藤原寛子(かんし/ひろこ)
五女・藤原尊子(そんし/たかこ)
六男・藤原長家(ながいえ)

道長の妾・源簾子

源簾子(れんし/やすこ)
生没年不詳

源時通(ときみち)の娘で、父の死後に伯父の源扶義(すけよし)に養女入りしました。源倫子は叔母にあたり、妹に紫式部の親友・小少将君(こしょうしょうのきみ)がいます。

『栄花物語』によると源則理(のりみち)としますが、離婚して藤原彰子に出仕しました。女房名は大納言の君、後一条天皇が誕生した際に迎え湯を担当したそうです。

のちに道長の召人(めしうど。お気に入り、愛人枠)として手をつけられたものの、正室の源倫子は夫と姪の関係を黙認しました。

道長の妾・源重光女

源重光女(しげみつのむすめ)

生没年不詳。

権大納言・源重光の娘で、母親は不詳。

長和3年(1014年)に道長の七男となる長信(ちょうしん。池辺僧正)を生みました。藤原の姓がないのは出家しているためです。
せっかく男児を生んだのに、前途を断たれてしまった胸中はいかばかりでしょうか。

実名さえ分からない彼女ですが、今後の究明が俟たれます。

道長の妾・藤原儼子

藤原儼子(げんし/いつこ)
生年不詳~長和5年(1016年)1月21日没

道長の義叔父・藤原為光(ためみつ)の四女として誕生します。母親は藤原伊尹女(これただのむすめ)。後に紹介する藤原穠子は実の妹です。

元は花山天皇(花山法皇)の愛人で、長徳2年(996年)に花山法皇が自分のもとへ通ってくる道中、自分の想い人を寝取ろうとしていると勘違いした藤原伊周に襲撃されてしまった事件(長徳の変)が伝わっています。

寛弘5年(1008年)に崩御されたのち藤原妍子(道長次女)に仕え、道長の妾となりました。

長和5年(1016年)1月21日、道長の子を産んださい母子共に亡くなってしまいます。

道長の妾・藤原穠子

藤原穠子(じょうし/しげこ)
天元2年(979年)生~万寿2年(1025年)没

藤原為光の娘で、母親は藤原伊尹女。藤原儼子は実の姉です。

はじめ源兼資(かねすけ。左馬権頭)と結婚しますが、23歳となった長保3年(1001年)に兼資と死別してしまいます。

生活のため姉と同じく藤原妍子に女房として出仕し、のち道長の妾となりました。

やがて藤原妍子の娘である禎子内親王(ていし/さだこないしんのう。三条天皇皇女)に仕えています。

道長の妾?紫式部

紫式部(むらさきしきぶ)/藤原香子(かおるこ)?
天禄元年(970年)生?~長元4年(1031年)没?(諸説あり)

言わずと知れた平安文学の最高傑作『源氏物語』作者。彼女の創作活動は道長の経済的支援なくしてはありえませんでした。

女子
哥人 上東門院女房紫式部是也源氏物語作者或本雅正女云々為時妹也云々
母右馬頭藤原為信女右衛門佐藤原宣孝室 御堂関白道長妾云々

【意訳】歌人で藤原彰子に仕え、紫式部と呼ばれた『源氏物語』作者である。出自については諸説あり、藤原宣孝の妻となった。夫との死別後、道長の妾になったという。

※『尊卑分脈 五』良門流

彼女の著作『紫式部日記』にも道長との関係を匂わせる記述がちょいちょい出てくることから、妾であったとの説もある紫式部。

実際のところはわかりませんが、今後の究明が俟たれます。

終わりに

藤原道長の妻たち

正室・源倫子(りんし/ともこ)
側室・源明子(めいし/あきらけいこ)
妾・源簾子(れんし/やすこ)
妾・源重光女(しげみつのむすめ)
妾・藤原儼子(げんし/いつこ)
妾・藤原穠子(じょうし/しげこ)
妾?紫式部?(むらさきしきぶ。藤原香子?)

以上、藤原道長の妻たちを一挙紹介してきました。ここにある他にも、関係が噂された女性たちは多数いるようです。

さすがは『源氏物語』主人公・光源氏のモデルと言われただけのことはある……のでしょうか。

藤原道長の子供たち

<源倫子との子供>
長女・藤原彰子(しょうし/あきこ)
長男・藤原頼通(よりみち)
次女・藤原妍子(けんし/きよこ)
五男・藤原教通(のりみち)
四女・藤原威子(いし/たけこ)
六女・藤原嬉子(きし/うれしこ)

<源明子との子供>
次男・藤原頼宗(よりむね)
三男・藤原顕信(あきのぶ)
四男・藤原能信(よしのぶ)
三女・藤原寛子(かんし/ひろこ)
五女・藤原尊子(そんし/たかこ)
六男・藤原長家(ながいえ)

<源重光女との子供>
七男・長信(ちょうしん)

正室と側室が6人ずつ。そして源重光女がとどめとばかりに一人生んで、計13人の子供をさずかりました。

養子や猶子を加えれば、更に多くの子供を養っています。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君」には、道長の妻妾子女が何人登場するのでしょうか。そして“まひろ(紫式部)”は道長の妾となるのでしょうか。

今後の展開も、楽しみですね!

※参考文献:

  • 福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』平凡社新書、2023年11月
  • 服藤早苗ら『紫式部を創った王朝人たち-家族・主・同僚・ライバル』明石書店、2023年12月
  • 大津透ら編『藤原道長事典』思文閣出版、2017年9月

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