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【鎌倉殿の13人】義時たちはどんな暮らしをしていたの?鎌倉武士の衣食住を紹介!

大河ドラマ
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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」皆さんも観ていますか?主演の小栗旬はじめ、多彩なキャストが活躍する三谷幸喜の脚本、面白くない訳がありませんね(ね!)。

さて、小栗旬が演じる主人公の北条義時(ほうじょう よしとき)をはじめ平安時代末期から鎌倉時代初期の武士たちは、どのような暮らしを営んでいたのでしょうか。

自分で食うくらいは自分で作るのが坂東武士。『暮帰絵詞』より

今回は鎌倉武士の衣・食・住について、それぞれをざっくり紹介。ドラマでは描き切れない義時たちの日常に、思いを馳せてみたいと思います。

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【衣】カジュアルな直垂、フォーマルな水干

武士はその名の通り戦うことを生業としてするため、動きやすい直垂(ひたたれ)が好まれました。

直垂の一例。襟の布地が直(ひた。まっすぐ)に垂れていることから「ひたたれ」と言います。

直垂はもともと庶民の作業着でしたが、そのシンプルな実用性から武士たちの間にも普及していきます。

また、ここ一番のハレ場では水干(すいかん)に着替えました。

ほか宮中へ出仕する者は古式に則った武官束帯(ぶかんそくたい)を着用します。

こちらは貴族たちの普段着であったものを身分の低い武士たちに下げ渡したのか、貴族文化に憧れた武士たちが真似るようになったのか、武士の正装として地位が向上します。

水干の一例。直垂と違い襟がとじられています。上村松園筆

「鎌倉殿の13人」の第1回「大いなる小競り合い」で、北条政子(演:小池栄子)が京都の大番役から戻ってきた北条時政(演:坂東彌十郎)に対して

「そんな格好(直垂)ではなく、きちんと(水干に)着替えてきて下さい」

と言っていたのは、水干を着ることで都帰りの風格を演出したかったからに外なりません。

その甲斐あって、親友の三浦義澄(演:佐藤B作)から「垢抜けたなぁ。やはり三年も都にいると変わるもんだなぁ」と褒められていました。

【食】犬にモグラにヒキガエル……武士たちのワイルドな食卓

「鎌倉殿の13人」第3回「挙兵は慎重に」では、飢饉を予測した義時が政子たちに対して「食事に混ぜる米の量を減らして下さい」と言っていましたね。

この当時、白米は非常に贅沢品であり、ご飯と言えば稗(ヒエ)や粟(アワ)などの雑穀がメインでした。

イメージ

米を食べるにしても、精米しない玄米を硬めに炊いた強飯(こわめし)で、炊き立てを食べるのではなくまず天日に干します。

これが糒(ほしいい。干し飯)。こうすることで長期保存が可能となり、食べる時には汁なり湯水で柔らかく戻しました。

当時は食糧確保が難しかったため、基本的に入手した食糧は少しでも長持ちするよう処理・備蓄した上で少しずつ食べるスタイルだったようです。

実衣(演:宮澤エマ)「え~、お米を減らすなんて嫌です!」

政子「このままだと、来年食べる分がなくなるかも……」

実衣「半分にしましょう!」

ちなみにこの「汁かけ飯スタイル」は都の公家たちから不評で、後に上洛を果たした木曽義仲(演:青木崇高)はこの食い方で野蛮だと嫌われてしまいます。

おかずについては意外にバリエーション豊か。当時は肉食が禁忌でなかったため、鹿、犬、キジ、ウサギ、鼠、モグラ、ヒキガエルなどの肉が食べられています。

ヒキガエルを煮た「毛瀰(もみ)」は美味とのことですが……義時たちも食べたのでしょうか(イメージ)

海産物が獲れる地域ではサメや鯛、スズキにボラにマグロやブリ、カツオなど……貝類はサザエやアワビ、ハマグリなど、現代でも馴染み深い食材が食卓に供されました。

野菜類はキノコやタケノコ、レンコンに山芋、瓜にゴボウにカブや大根など、こちらも美味しく食べられそうです。

ここまで食材が並んだらあとは味つけになりますが、基本的に調理中の味つけはせず、煮たり焼いたりした食材に各自で味をつけるスタイルだったと言います。

(ちなみに、食中毒の危険性があるため、基本的に生食は禁物でした)

調味料は塩や醤(ひしお。塩漬けにした発酵調味料)、酢や煎汁(いろり。出汁)がメインで、味噌は貴重品だったとか。

また、山葵(ワサビ)や生姜(ショウガ)も交易されていたことから、薬味として楽しまれていた可能性もあるでしょう。

捕えたモグラやヒキガエルの肉をワイルドに頬張る小栗旬……ちょっと見てみたい気もします。

【住】みんなで助け合うのが基本スタイル

武士と言えば立派な館に住まい、領民たちに君臨していたイメージですが、よほどの大豪族でなければ基本的には自分たちも農耕に勤しんでいました。

農民たちの代表が武装して領地や仲間たちを守る……それが武士の基本スタイル。そもそも武士と農民の境界はあいまいで、いざ有事となれば誰もが武装して互いに守り合います。

そうでなければ生きていけないからです。

畳(緑部分)は人が座るところのみ。『蒙古襲来絵詞』より

武士たちの住居は武家造(ぶけづくり)と呼ばれ、平安貴族が住んだ寝殿造(しんでんづくり)を簡素化したものと考えられています。

ただし、その実態については詳しく分かっておらず、出土した遺構や絵巻物などからの推測がメインです。

建材は板材が中心であり、日本家屋のトレードマークとも言える畳や障子などが普及するのはもう少し後の時代になります。

家の周囲には土塁や堀、板塀などが巡らされました。また周囲を見張り、戦時には敵へ矢を射かけるための矢倉(やぐら。櫓)も組まれています。

敷地内には母屋や侍廊(じろう。家人らの控え小屋)、厩(うまや)などが配置されました。

堀の周囲には一族の氏神を祀るお社(やしろ)や軍馬を養う牧場などが配置され、堀の水は溜めておくばかりでなく、農業用水としても活用されます。

こうした武家屋敷の様子は『男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)』や『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』などに描かれているので、見るとイメージしやすいでしょう。

ライフスタイルという面では家事について男女の性差が少なく、例えば料理なんかは男性も普通に行い、男手が足りなければ女性も農耕に参加するなど助け合っていました。

さて、仕事が終わってリラックスする時は女性もあぐらや立膝で座ります。近世ほど礼儀作法もやかましくなかったため、めいめいが気楽に過ごしたことでしょう。

(ただし、目上の人に対する時などTPOをわきまえた振る舞いが求められるのは、この当時も変わりません)

終わりに

以上、鎌倉武士の衣・食・住についてごくざっくりと紹介してきました。

父(北条時政)の前では、きちんと座る女性たち。公式サイトより

「鎌倉殿の13人」では細かなところにもこだわりがあり、服の色使いや調度品、小道具にいたるまでキャラクターの個性を演出する工夫がなされているとか。

例えば北条家は緑が基調、源氏は白、平家は赤、朝廷は高貴な紫など……ちなみに、義時は年代が進むにつれて色が深まり、ダーティになっていく様子を表しているそうです。

なにぶん目まぐるしい(見ていて飽きない)ストーリー展開なので、なかなか画面のすみずみまで目を凝らすのは大変ですが、何度も見直すと新たな発見があるかも知れませんね。

※画像出典:NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイト

※参考文献:

  • 「鎌倉グルメin中世 展示解説パンフレット」鎌倉歴史文化交流館、2019年5月
  • 石毛直道 監修『調理とたべもの 講座 食の文化 三』味の素食の文化センター、1999年3月
  • 『北条義時と鎌倉幕府』オークラ出版、2022年1月
  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2021年12月
  • 石井進 監修『立体復原 日本の歴史下 中世・近世・明治編』新人物往来社、1997年3月
  • 大三輪竜彦 編『中世鎌倉の発掘』有隣堂、1983年9月

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