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【鎌倉殿の13人】伊東祐親・祐清それぞれの末路…軍記文学『曽我物語』はこう書いた

古典文学
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に第1回から登場、源頼朝(演:大泉洋)の宿敵として立ちはだかる伊東祐親(演:浅野和之)と、その息子でありながら頼朝たちと気脈を通じていた伊東祐清(演:竹財輝之助)。

伊東祐親像。Wikipediaより(撮影:立花左近氏)

石橋山の合戦で一度は頼朝たちを撃破、あと一歩のところまで追い詰めながら逆転を許してしまい、第8回ではついに祐清が捕らわれてしまいます。

この後、伊東父子はどうなってしまうのでしょうか。

その最期には諸説あるようですが、今回は軍記物語『曽我物語』より、伊東祐親&祐清それぞれの末路を読んでみたいと思います。

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伊東がきらるヽ事

さても、不忠をふるまひし伊東入道は、いけどられて聟の三浦介義澄にあづけられるを、先日の罪科のがれがたくして、めしいだし、よろいするといふ所にて、首をはねられける。
最後の十念にもおよばず、西方浄土をもねがはず、先祖相伝の所領、伊東・河津の方をみやりて、執心ふかげに思ひやるこそ、無慙なれ。

※『曽我物語』より

【意訳】伊東祐親が斬られること。

かつて頼朝に叛逆した(八重姫との仲を引き裂いて千鶴丸を殺したばかりか、石橋山でも敵対した)伊東祐親は生け捕りにされ、その身柄を三浦義澄の元へ預けられる。
しかしあまりの重罪ゆえに許すことは出来ず、鐙摺(よろいする)と言う場所で斬首された。
念仏も唱えず、極楽往生も願うことなく、かつて治めていた伊東・河津の方角を未練がましく眺めていた。実にふてぶてしく、恥知らずな振る舞いである。

……史実では既に出家していた祐親は、生け捕られて三浦義澄(演:佐藤B作)の元へ預けられました。

祐親入道のきらるゝ事(イメージ)

『吾妻鏡』だと義澄が舅の助命を頼朝に嘆願しますが、『曽我物語』ではそのまま斬首されます(明記されていないものの、義澄が助命を嘆願したものの……というニュアンスが含まれている可能性はあります)。

ちなみに鐙摺という地名は「あぶずり(現:神奈川県葉山町)」と読みますが、作者が鐙(あぶみ)を鎧(よろい)と間違えたのでしょう。

最後の十念とは、死後の極楽往生≒成仏を願って念仏を十回唱えることを言い、それで生前の罪業が赦されるのか軽くなるのか、祐親はそれさえしません。

あくまで所領≒私欲にのみとらわれ続け、首(こうべ)を刎ねられる最期の瞬間まで悪役だった……というのが『曽我物語』の描く伊東祐親です。

祐清、京へのぼる事

伊東九郎にをゐては、奉公の者にて、死罪をなだめられ、めしつかはるべきよし、おほせだされしを、「不忠の者の子、面目なし。その上、石橋山の合戦に、まさしく君をうちたてまつらんとむかひし身、命いきて候とも、人にひとしくたのまれたてまつるべしとも存ぜず。さあらんにをゐては、首をめされん事こそ、ふかき御恩たるべし」と、のぞみ申けるも、やさしくぞおぼえける。この心なればや、君をもおとしたてまつりけると、今さらおもひしられたり。君きこしめされ、「申上ところの辞儀、余儀なし。しかれども、忠の者をきりなば、天の照覧をいかゞ」とて、きらるまじきにぞさだまりける。九郎、かさねて申けるは、「御免候はゞ、たちまち平家へまゐり、君の御敵と也まゐらせ、後矢つかまつるべし」と、再三申けれ共、御もちひなく、「たとひ敵となるといふとも、頼朝が手にては、ゐかでかきるべき」とおほせくだされければ、力およばず、京都にのぼり、平家に奉公いたしける。北陸道の合戦の時、加賀国篠原にて、齋藤別当一所に討死して、名を後代にとゞむ。よき侍のふるまひ、弓矢の義理、これにしかじと、をしまぬ者はなかりけり。

※『曽我物語』より

【意訳】伊東祐清が上洛すること。
伊東祐清(九郎)はかねてより頼朝に貢献してきたため、赦されて召し抱えると伝えられた。しかし九郎はこれを辞退。
祐清「父が罰せられているのに、恩賞にあずかる子は不孝者です。しかも石橋山では(心ならずとは言え)あなたに弓を引いた以上、たとえお仕えしても信用されないでしょう。もしもお慈悲をかけて下さるなら、どうか首をお刎ね下さい」
さすがは立派な心がけ、かつて祐親から頼朝を助けただけのことはある、と改めて感心させられた。
これを聞いた頼朝は「あなたの言うことはまったく道理に適っている。しかし、忠義を尽くした者を斬ってしまったら、天は私を赦されるまい」とて、仕官の成否を問わず助命を決定。

伊東祐清。菊池容斎『前賢故実』より

しかし九郎は重ねて言った。
祐清「お待ちください。もし私を生かしたならば、父の志を継いで平家の軍勢に加わり、あなたに矢を射かけねばなりません」
それでも「たとえ敵になろうとあなたを斬るなどできない」と頼朝に解放された九郎は言葉通りに平家の軍勢に加わり、北陸道の合戦で斎藤別当実盛(さいとう べっとうさねもり)らと共に討死したのであった。
武士として、これ以上に素晴らしい筋の通し方はほかにあるまいと、九郎の死を惜しまぬ者はなかったそうな。

……アッサリ斬られ、最期まで業欲であった父に比べ、祐清はその見事な心映えが賞賛されます。

互いに惹かれ合いながら、袂を別たねば道理が立たない。そんな武士の悲しい美学が垣間見える一幕でした。

まとめ・伊東祐親&祐清それぞれの最期

伊東祐親……捕らわれて斬首、最期までイヤな悪役

伊東祐清……釈放されて平家に加勢、北陸で討死

以上、『曽我物語』の描く伊東父子の末路をたどってみました。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第9回ではいよいよ追い詰められた祐親が八重姫を「頼朝にだけは渡さない」とばかり斬るよう命じますが、果たしてどうなるのでしょうか。

たとえ親子兄弟であっても裏切り、殺し合うことが珍しくもない時代にあって、伊東家には篤い絆があったように感じられます。

もしかしたら、頼朝もそんな家族の一員として婿入りしたかったのかも知れません。しかし万が一そうだとしたら(祐親の留守中に夜這いなどかけず、きちんと打診・根回しするなど)もう少しまっとうな手順を踏むべきでしたね。

※参考文献:

  • 市古貞次ら校注『曽我物語』岩波書店、1966年1月

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