『更級日記』の作者
ちぐさ/菅原孝標の娘(すがわらのたかすえのむすめ)
吉柳 咲良(きりゅう・さくら)のちに『更級日記』を記す。伯母は藤原道綱の母。父の赴任先にいた子どものころより『源氏物語』に憧れる。京に戻ったのちにようやく全巻を手に入れて感動し、暗唱するまでに読みこんでいる。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
紫式部の書いた『源氏物語(光る君の物語)』は多くの人々を魅了し、後世平安文学の代表的作品となったのは広く知られるところです。
今回はそんな『源氏物語』の熱烈なファンであったちぐさこと菅原孝標女を紹介。果たして彼女はどんな女性で、どのような人生を送ったのでしょうか。
物語に憧れた少女時代
菅原孝標女は寛弘5年(1008年)、菅原孝標(すがわらの たかすえ)と藤原倫寧女(みちやす娘)の間に誕生しました。実名は不詳です。
藤原倫寧と言えば藤原道綱母(役名は寧子。財前直見)の父親であり、菅原孝標女は彼女の姪に当たります。
それが菅原孝標女を文学オタクたらしめる一因となったのかも知れません。
ちなみに兄弟は兄の菅原定義(さだよし)と姉などがいます。
菅原孝標女の生涯については彼女の記した『更級日記(さらしなにっき)』に詳しく、日記は父が上総介(千葉県中部の国司次官)として任期を務めていた寛仁4年(1020年)ごろから始まりました。
都の物語に憧れた菅原孝標女は「この世にある物語をすべて読めるように」祈願しながら等身大の仏像を作ったと言います。
いやぁ、その情熱は他に向けた方がよいのでは……と思ったのは、きっと筆者だけではないでしょう。
『源氏物語』全巻を与えられ……
しかし一途な願いが通じたのか、都へ戻ると伯母から『源氏物語』五十余巻を貰い、見事に沼へハマってしまいました。
「后の位も何にかはせむ」
【意訳】たとえ天皇陛下から「皇后にしてあげる」と言われても、『源氏物語』を得た喜びに比べたら、それが何だって言うの?
もう寝食も忘れて物語を読みふけり、ついには『源氏物語』を暗唱できるようになったというから凄まじい情熱です。
しかし物語はフィクションであり、当時は仏の教え(不妄語戒≒ウソや作り話はいけません)に背くものとされていました。
物語を書くのはもちろん、物語にハマるのも同罪です。
「そんなことでは成仏できず地獄に堕ちるぞ!物語なんか読むのをやめて、ちったぁ修行せい!」
夢にしばしば僧侶が現れて菅原孝標女を叱りつけます。でもお説教を食らったくらいで物語を断ち切れるなら、オタクは苦労なんかしません。
警告が気にならない訳じゃないけれど、それでも物語はやめられない。
「いつかはきっと、私も夕顔か浮舟(どちらも『源氏物語』ヒロイン)みたいに……」
どうやら菅原孝標女は、儚げながら芯のある、そんな女性像に憧れていたようです。
現実と孤独な晩年
しかしまぁ、現実はそんないつまでも少女を少女のままにしておいてはくれません。
やがて父が年老いてきたこともあってか、菅原孝標女は祐子内親王(ゆうし/すけこ。敦康親王の孫)に出仕しました。
長久元年(1040年)ごろに橘俊通(たちばなの としみち)と結婚し、橘仲俊(なかとし)と二女を出産します。
※これで橘俊通室とはならなかったんですね。あまりメジャーな人物でないからでしょうか。
結局のところ、光源氏も薫(※『源氏物語』第三部主人公)も現れなかったけど、まぁ幸せな家庭生活だよね……と思っていたかどうか。
しかし康平元年(1058年)に夫が先立ち、子供たちも独立していき、菅原孝標女は孤独になってしまいました。
「これも若いころに物語ばかり現(うつつ)を抜かした報いでしょうか……」
という辺りで日記は終わっており、菅原孝標女がどのような最期を迎えたのか、詳しいことは分かっていません。
『更級日記』だけじゃない?菅原孝標女の作品は?
回顧録『更級日記』の作者として知られる菅原孝標女。しかし彼女には他の作品があったとも考えられています。
『浜松中納言物語(はままつちゅうなごんものがたり)』
臣籍降下した浜松中納言の生涯を描く。『源氏物語』の影響を強く受けている。
『夜半の寝覚(よわのねざめ。夜寝覚)』
ヒロイン寝覚の上が歩んだ生涯を描く。『源氏物語』のインスパイア作品と言われる。
やはり読むだけじゃ物足りず、自分でも書きたくなってしまうのでしょうね。
また勅撰和歌集にも15首が採録されており、その文才が伝わります。
- 新古今和歌集1
- 新勅撰和歌集1
- 続後撰和歌集1
- 続古今和歌集2
- 玉葉和歌集5
- 続千載和歌集1
- 続後拾遺和歌集1
- 新千載和歌集1
- 新拾遺和歌集2
※ただし玉葉和歌集と新千載和歌集の1首はほとんど被っており、これは同一の歌と見てもよいかも知れません。
あはれしる ひとにみせはや やまさとの あきのよふかき ありあけのつき
※『玉葉和歌集』秋698おもひしる ひとにみせはや やまさとの あきのよふかき ありあけのつき
※『新千載和歌集』雑1784【意訳】物のあはれを知る≒私と感性を同じくする方に、この趣き深い月を見せてあげたいものです。山里の秋の夜更けに輝く有明の月を……。
他の和歌たちも、改めて紹介したいと思います。
終わりに
今回はちぐさこと菅原孝標女について、その生涯をたどってきました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、『源氏物語』作者であるまひろ(藤式部。吉高由里子)と対面を果たすのでしょうね。
憧れの作者と出会い、ちぐさはどんなリアクションを見せてくれるのでしょうか。
実際に会ったことはないでしょうが(会っていたら記録に残さない訳がありません)、こういうif(もしも)を含めて楽しんで行きましょう。
※参考文献:
- 藤岡忠美ら校註『新編 日本古典文学全集26・和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年8月
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