治承四年八月小十七日丁酉。快晴。三嶋社神事也。……
※『吾妻鏡』治承4年(1180年)8月17日条【意訳】快晴。今日は三嶋大社の神事がある……。
元暦二年三月大廿四日丁未。於長門國赤間關壇浦海上。源平相逢。……
※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)3月24日条【意訳】長門国の赤間関、壇ノ浦の海上に、源平両軍が対峙する……。
これらは鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』から、頼朝公が平家打倒のため挙兵した日と、平家を滅ぼす壇ノ浦合戦の日を抜き出しました。
原文を見ると、それぞれ「八月小」「三月大」とありますが、この小とか大にはどんな意味があるのでしょうか。
大小は月の日数。一年が384日あった年も?
結論から言うと、小がつく月は1ヶ月が29日、大がつく月は1ヶ月が30日あるのだそうです。
これは太陰暦(旧暦)ならではの日程調整で、例えば『吾妻鏡』で治承5年(1181年。養和元年)を見ると、各月の大小はこのようになっていました。
- 正月大 (30日)
- 2月小(29日)
- 閏2月大(30日)
- 3月小(29日)
- 4月大(30日)
- 5月大(30日)
- 6月小(29日)
- 7月大(30日)
- 8月小(29日)
- 9月大(30日)
- 10月小(29日)
- 11月大(30日)
- 12月小(29日)
大7ヶ月(30日×7ヶ月=210日)+小6ヶ月(29日×6ヶ月=174日)で、この年は一年が384日あったそうです。
太陰暦には数年ごとに日にちのズレを調整する閏月(うるうづき)が設けられ、月の大小を割り振るのも季節感に配慮されました。
毎年暦(こよみ)を作るのは大変だったでしょうね。
※ちなみに暦の作成は陰陽寮に仕える陰陽師らの仕事でした。
終わりに
話を戻すと「何月小」とある小の月には30日が存在しない、と覚えておけばいいでしょう。
今まで「太陰暦は全て1ヶ月30日固定、たまに閏月が入る」と認識していましたが、実は29日しかない月も半年ほどあったのですね。
『吾妻鏡』だけでなく、文献を読む時にはその辺りも注意していきたいと思います。
※参考文献:
- 中村士 監修『図説江戸の暮らしを支えた先人の知恵!日本の暦と和算』青春出版社、2012年9月
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