令和8年(2026年)後期の連続テレビ小説「ブラッサム」。
自由を求めて明治・大正・昭和を駆け抜けた女流作家・宇野千代(うの ちよ)をモデルにした葉野珠(はの たま)が主人公です。
果たしてどんな物語になるのか、今回は葉野珠のモデルとなった宇野千代について、その生涯をたどっていきましょう。
懸賞小説が一等に、女流作家デビュー

宇野千代は明治30年(1897年)11月28日、山口県横山村(現代の岩国市)で酒造業を営む家に生まれました。
幼くして実母を亡くし、父は若い女性と再婚します。年齢差12歳という若い継母を千代は実母と思っていたようで、大層慕っていたそうです。
岩国高等女学校(現代の県立岩国高等学校)を卒業後に14歳で従兄の藤村亮一と結婚しますが、10日ほどで実家へ帰って来てしまいました。
よほどひどい仕打ちを受けたのか、あるいはとんでもないお嫁さんだったのかも知れません。
今度は小学校の代用教員として勤務するも、職場恋愛によって免職処分となります。おまけに相手の男性とも破局してしまいました。
その後、何を思い立ったか朝鮮半島の京城(現代の韓国ソウル)へ行くがトンボ返り。何をするにも見切りの早さが彼女の特徴と言えるでしょう。
根性がなかったのでは?という見方もできそうですが、いきなり思い立って海を渡ってしまう行動力は、なかなか真似できるものではありません。
帰国後は元夫の弟である藤村忠と再婚。地元から忠が住んでいた京都へ移り、忠の進学にともない東京へと移り住みました。
東京ではアルバイトをしながら芥川龍之介や久米正雄、今東光(こん とうこう)らと親交を結びます。
やがて北海道へ移住し、大正10年(1921年)に『時事新報』の懸賞小説に応募した「脂粉の顔」が一等で当選。作家デビューを果たしたのでした。
文章がこれほどカネになるとは……驚いた千代は執筆活動に専念します。そして中央公論に「墓を暴く」を寄稿しますが、一向に返事がありません。
どうなっているのか確認するため、上京したところ既に掲載されていたとのこと。千代が言わなければ、そのまま黙っているつもりだったのでしょうか。
とにかく掲載されたなら原稿料を……と請求したところ、その場で原稿料をもらったそうです。
しかしそれがあまりの大金であったため、その足で岩国の実家に帰り、継母に原稿料の一部を贈ったのでした。
女性事業家としても活躍

それでは北海道へ戻ろうか……とその前に、原稿料のお礼と今後について打ち合わせを兼ねて中央公論に立ち寄った千代は、尾崎士郎を紹介されます。
すると千代は尾崎に一目ぼれしてしまい、北海道へ帰らずそのまま東京で同棲を始めてしまいました。
後に忠と離婚して尾崎と結婚した千代ですが、梶井基次郎との関係が噂となって尾崎と別居。間もなく東郷青児と同棲し、尾崎と正式に離婚しています。
そしてこの東郷とも、麻雀賭博の容疑で揃って検挙されたことがキッカケで別れてしまいました。まったく恋に奔放と言うか、ロクデナシと言うか……もう少し後先考えて行動した方がいいのでは……。
そして昭和11年(1936年)に雑誌『スタイル』を創刊。表紙絵は藤田嗣治(つぐはる)、題字は元カレの東郷青児が手がけます。実にやりにくそうですが、よく引き受けてくれましたね。
『スタイル』誌は戦時中に一度廃刊したものの、敗戦後の昭和21年(1946年)に再刊、新時代のトレンディメディアとして成功を収めました。着物のデザインや販売なども手がけたとか。
ちなみに昭和14年(1939年)に北原武夫と結婚しており、今度は昭和39年(1964年)まで続いています。
昭和34年(1959年)にスタイル社が倒産するまで女性事業家として活躍し、また女流作家としても恋愛論・幸福論・長寿論など多くのエッセイを手がけました。
そんな宇野千代の代表作には、以下のものがあります。
- 『幸福』大正13年(1924年)…女流文学賞を受賞。
- 『色ざんげ』昭和10年(1935年)…東郷青児との関係を描く。
- 『おはん』昭和32年(1957年)…野間文芸賞を受賞。
- 『或る一人の女の話』昭和47年(1972年)…自伝的小説。
- 『生きて行く私』昭和58年(1983年)…自伝的小説。
永年の活動が評価されて昭和49年(1974年)には勲三等瑞宝章を受章。また昭和57年(1982年)には菊池寛賞を受賞、平成2年(1990年)には文化功労者に選定されました。
そして平成8年(1996年)6月10日、100歳(満98歳)で世を去ります。
戒名は謙恕院釈尼千瑛。著作の一つ『薄墨の桜』にあやかって、彼女の命日は薄桜忌(はくおうき)と呼ばれるようになりました。
終わりに

好奇心旺盛で即行動する、パワフルでチャーミングな小説家小説を書きたいという幼き日の夢を諦めず、故郷の山口・岩国を飛び出し魅力的な人々との出会いによって、夢を手繰り寄せ、大正・昭和の激動の時代へと突き進んでいきます
結婚に離婚、震災に戦争、倒産に借金と…波乱万丈に満ちた出来事が幾度も押し寄せても、どんな苦難の中からも「幸せのかけら」を見つけ出し小説を書くことを決してやめず、一流作家としての地位を確立します
戦後、女性たちからの圧倒的な支持をうけしなやかに、したたかに、愉快に生きながらいまも現代人の背中を押してくれる強烈な言葉をのこした生涯日本の朝に「幸せ」をはこびます
※NHK公式サイトより。
今回は連続テレビ小説「ブラッサム」ヒロイン・葉野珠のモデルとなった宇野千代について、その生涯をたどってきました。
番組の紹介文を読むと、確かにまぁ、パワフルでチャーミングと言えなくもないような……そんなヒロインを、石橋静河が演じてくれるのでしょう。
タイトルの「ブラッサム」とは開花を意味する言葉ですが、ブロッサムでなくブ「ラ」ッサムである点にもこだわりがあると言います。
◆物語
明治三十年(1897年)、主人公・葉野 珠(はの・たま)は山口県の岩国に生まれました。実母は珠が2歳のときに亡くなり、父と後妻である継母によって育てられました。女学校を卒業後、代用教員として働き始めますが解雇され、故郷の岩国を追われることになります。親戚を頼って上京したことで、珠は幼き日の夢を強く意識し、小説の懸賞応募から、作家の道を切り開きます。
しかし、世の中は価値観が大きく揺れ動く時代。大正から昭和にかけて、関東大震災と戦争、結婚と離婚、倒産そして借金…と、珠は、さまざまな困難にのみ込まれながらも、作家として生きることに向き合います。そうした中で、小説家として花を咲かせるのです。
時には敵を作り誤解され、傷つけ傷つきながらも、自由を求めて生きることに正直であり続けた珠は、小説に思いを忍ばせることで、読む人に「幸せ」を運んでいくのです。
※NHK公式サイトより。
次から次へと波乱万丈が襲いかかる中で、ヒロインの葉野珠はどんな花を咲かせてくれるのか、楽しみにしていましょう!
2026年度後期 連続テレビ小説「ブラッサム」
- 放送予定:2026年秋
- 脚本:櫻井剛(さくらい つよし)
- 主演:石橋静河(いしばし しずか)
- 統括:村山峻平、櫻井壮一
- 演出:盆子原誠


