恋川春町(こいかわ はるまち)の戯作と、喜多川歌麿(きたがわ うたまる/うたまろ)の浮世絵。もし両方の才能を兼ね備えた人物がいたとしたら、どんな活躍を魅せたでしょうか。
そんな贅沢な設定の人物が実在しました。彼こそは二代目恋川春町にして二代目喜多川歌麿。果たして彼がどんな人物だったのか、気になりますね。
戯作者としての活躍
彼は最初から恋川春町を名乗っていた訳ではなく、最初は初代恋川春町に弟子入りし、恋川行町(ゆきまち)と名乗りました。
初代春町の存命中から恋川の名乗りを許されていることから、相応の信頼と実績があったことがわかりますね。
【恋川行町名義の戯作】3作品

- 『今渡唐織曽我(いまわたりからおりそが)』2冊
天明7年(1787年)/板元:西村屋与八/画工:北尾政美 - 『書集千鳥蝶(かきあつむちどりちょうちょう)』2冊
寛政元年(1789年)/板元:不詳/画工:北尾政美 - 『栄増眼鏡徳(さかえますめがねのとく)』3冊
寛政2年(1790年)/板元:西宮新六/画工:北尾政美
【二代目恋川春町名義の戯作】20作品
- 『浮草双紙洗小町(うきくさぞうしあらいこまち)』3冊
寛政7年(1795年)/板元:鶴屋喜右衛門/画工:松栄斎長喜 - 『万歳諷諸神柱立(ばんせいうたうしょじんのはしだて)』2冊
寛政7年(1795年)/板元:榎本屋吉兵衛/画工:森羅亭万宝(七珍万宝) - 『源平合戦記(げんぺいかっせんき)』5冊
年代不詳/板元:不詳/画工:二代目喜多川歌麿(自身) - 『朝皃合秋七草(あさがおあわせあきのななくさ)』3冊
文政6年(1823年)/板元:丸屋文右衛門/画工:歌川国安 - 『其俤白石噺(そのおもかげしろいしばなし)』5冊
文政8年(1825年)/板元:丸屋文右衛門/画工:歌川国安 - 『再度敵討也実(にどのかたきうつやまこと)』6冊
文政8年(1825年)/板元:山口屋藤兵衛/画工:北尾美丸・歌川国安 - 『女船頭矢口之渡(おんなせんどうやぐちのわたし)』5冊
文政10年(1827年)/板元:丸屋文右衛門/画工:歌川国安 - 『拍子舞紅梅箙(ひょうしまいこうばいえびら)』6冊
文政10年(1827年)/板元:山口屋藤兵衛/画工:歌川貞景 - 『塩汲車輪廻仇討(しおくみぐるまりんねのあだうち)』6冊
文政11年(1828年)/板元:和泉屋市兵衛/画工:歌川国安 - 『隅田川梅若縁起(すみだがわうめわかえんぎ)』6冊
文政11年(1828年)/板元:山口屋藤兵衛/画工:歌川貞景

- 『夢之世話金則敵(ゆめのよばなしかねがかたき)』3冊
文政11年(1828年)/板元:鶴屋喜右衛門/画工:春斎英笑 - 『鎌倉山百人一首(かまくらやまひゃくにんいっしゅ)』2冊
文政12年(1829年)/板元:鶴屋喜右衛門/画工:歌川安秀 - 『新形染松之葉重(しんがたぞめまつのはがさね)』2冊
文政12年(1829年)/板元:鶴屋喜右衛門/画工:歌川安秀 - 『菅原伝授建部物語(すがわらでんじゅたけべものがたり)』6冊
文政12年(1829年)/板元:山口屋藤兵衛/画工:歌川貞景 - 『艶競恋花染(あだくらべこいのはなぞめ)』6冊
天保元年(1830年)/板元:和泉屋市兵衛/画工:貞斎泉晁 - 『春狂言善悪鏡(はるきょうげんぜんあくかがみ)』6冊
天保2年(1831年)/板元:鶴屋喜右衛門/画工:二代目歌川豊国 - 『一之谷青葉後記(いちのたにあおばこうき)』5冊
天保2年(1831年)/板元:山口屋藤兵衛/画工:歌川貞秀 - 『鶴千年対面曽我(つるはせんねんたいめんのそが)』2冊
天保3年(1832年)/板元:和泉屋市兵衛/画工:二代目歌川豊国 - 『恋染木手管苧環(こいぞめきてくだのおだまき)』2冊
天保3年(1832年)/板元:和泉屋市兵衛/画工:二代目歌川豊国 - 『忠臣再講釈(ちゅうしんにどのこうしゃく)』6冊
天保3年(1832年)/板元:和泉屋市兵衛/画工:歌川貞秀

初代春町が寛政元年(1789年)に世を去ってすぐ名乗った訳ではなく、しばらく経った寛政7年(1795年)から二代目春町としてデビューしたようです。
生涯で23作を世に出した二代目春町ですが、その板元は以下のようになっています。
- 和泉屋市兵衛(いずみや いちべゑ)5作
- 鶴屋喜右衛門(つるや きゑもん)5作
- 山口屋藤兵衛(やまぐちや とうべゑ)5作
- 丸屋文右衛門(まるや ぶんゑもん)3作
- 榎本屋吉兵衛(えのもとや きちべゑ)1作
- 西村屋与八(にしむらや よはち)1作
- 西宮新六(にしみや しんろく)1作
- 不詳2作
1作も蔦屋重三郎の耕書堂から出していないのは、何か対立があったのかも知れませんね。
あるいは他の板元に遠慮して、こっそり出した(板元不詳の戯作がそれである)可能性も考えられるでしょう。
浮世絵師としての活躍
自身の戯作『源平合戦記』で自ら挿絵を描いているように、彼は浮世絵師としても活躍しました。

もちろん初代喜多川歌麿に弟子入りしており、その画風が師匠に酷似しているため、つい見間違えてしまいそうです。極め印が文化3年(1806年)9月以降のものは、初代が亡くなっているため二代目のものと分かります。
彼は文化3年(1806年)に師匠が世を去ると、その未亡人(同門の喜多川千代女か)に婿入りして二代目喜多川歌麿を名乗りました。
浮世絵師として挿絵や大判錦絵などを手がけ、その作品が現代に伝わっています。
【二代目喜多川歌麿の代表的な作品】
「扇屋内滝川艶粧(おうぎやうち たきがわ たおやぎ)」
「遊女立姿図(ゆうじょたちすがたず)」
「朝顔図」
「三美人図」
「文読む娘図(ふみ~)」
「木曾冠者源義仲及其一門(きそのかじゃ みなもとのよしなか および そのいちもん)」
ほか。戯作者としての活動と合わせて、浮世絵師としても活躍していたのでしょう。
弟子には田口森蔭(たぐち もりかげ。田口八五郎藤長)や長嶺清麿(ながみね きよまろ。長嶺九郎右衛門)などがいます。
ちなみに彼は通称を小川市太郎(または北川鉄五郎)と言い、他にも李庭亭幸町(りていてい ゆきまち)や雪町(ゆきまち)、梅雅堂などとも号しました。
その没年についてはよくわかっていません。特に御政道批判で罰せられたなどの記録もないようなので、自然な形で引退したのでしょう。
二代目恋川春町&二代目喜多川歌麿こと小川市太郎の基本データ

- 生没:生没年不詳
- 出身:不詳
- 出自:不詳
- 別名:北川鉄五郎
- 雅号:李庭亭幸町、雪町、梅雅堂
- 襲名:二代目恋川春町、二代目喜多川歌麿
- 活動:天明7年(1787年)ごろ~天保3年(1832年)ごろ
- 師匠:初代春町(戯作)、初代歌麿(浮世絵)
- 弟子:田口森蔭、長嶺清麿など
- 伴侶:初代歌麿の未亡人(喜多川千代女か)
- 子女:不詳
終わりに
今回は恋川春町と喜多川歌麿のそれぞれ二代目を称した人物について、紹介してまいりました。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では劇中で(蔦屋重三郎より先に)恋川春町が亡くなるため、二代目恋川春町が登場するかも知れません。
※二代目大文字屋市兵衛(伊藤淳史)のように、同じ演者が登場する可能性もあるでしょう。
もし登場するとしたら、蔦重そして歌麿との関係がどのように描かれるのか楽しみですね。
※参考文献:
- 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年6月
- 日本浮世絵協会 編『原色浮世絵大百科事典 第二巻』大修館書店、1982年8月