人間、何かで怖い思いをすると「もう金輪際、手を出すまい」と思うもので、皆さんにもそういう経験が一度二度はあるのではないでしょうか。
しかし「怖いもの見たさ」などと言うように、それでも「やめられない、止まらない」人も世の中にはいるもので、よせばいいのに何度も怖い思いを繰り返します。
そんな習性?は昔の人も変わらなかったようで、今回は明治時代の民俗物語集『遠野物語(とおのものがたり)』より、とある猟師のエピソードを見てみましょう。
昔、あったずもな……(物語の始まり文句)。
一、嘉兵衛と狐
六〇 和野村の嘉兵衛爺、雉子小屋に入りて雉子を待ちしに狐しばしば出でて雉子を追う。あまり悪ければこれを撃たんと思い狙いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。さて引金を引きたれども火移らず。胸騒ぎして銃を検せしに、筒口より手元の処までいつのまにかことごとく土をつめてありたり。
今は昔、和野村(現:岩手県遠野市)に嘉兵衛(かへゑ)という猟師の爺さんがおりました。
ある時、この嘉兵衛が泊りがけで雉子(キジ)撃ちに出た時のこと。いつもは自慢の鉄砲でバンバン獲物を仕留めていくのですが、その日に限っては狐が現れて雉子を追い払ってしまい、なかなか弾が当たりません。
「まったく、悪(にく)らしいヤツじゃ……」
頭に来た嘉兵衛は、雉子よりもまずこの狐を仕留めてやろうと鉄砲の狙いを定めます。
「よし……ん?」
見ると狐は、明らかにこっちの存在に気づいているにもかかわらず、まるで「撃てるものなら撃ってみろ」とばかり平気なようす。
「野郎、バカにしやがって!」
嘉兵衛は鉄砲の引き金を引いたところ、仕掛けがガチリと鳴ったばかりで、弾は発射されません。
「何だ!?」
鉄砲の故障かと思って嘉兵衛が改めて点検すると、何と鉄砲の銃身にはびっしりと泥が詰め込まれていたのです。
さっきまで普通に撃っていたから、そんなことはない筈なのに……化かされたと呆気にとられる嘉兵衛を嘲笑うように、狐はやぶの中へと消えていったのでした。
実に不思議な出来事でしたが、嘉兵衛は気にせず狩猟を続けます。
一、嘉兵衛と白鹿
六一 同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢えり。白鹿は神なりという言い伝えあれば、もし傷つけて殺すこと能わずば、必ず祟りあるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとい、思い切りてこれを撃つに、手応えはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸を取り出し、これに蓬を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくもあらず、全く魔障の仕業なりけりと、この時ばかりは猟を止めばやと思いたりきという。
そんな嘉兵衛が、六角牛山(ろっこうし。現:遠野市と釜石市の境)に入った時、今度は白い鹿と遭遇します。
昔から白い鹿は神様(あるいはその使い)と言い伝えがあり、下手に手を出して、仕留め損ねでもしたら必ず祟られると恐れられていました。
だったら「触らぬ神に祟りなし」で、最初から撃たなければよさそうなものですが、腕自慢の猟師としては、ここで見逃しては世間から笑われてしまうと思ったようです。
(個人的には、神聖な白鹿を撃とうとする方がよほど軽蔑されると思うのですが……)
ともあれ思い切って撃ったところ、弾は白鹿にみごと命中。したのですが、どういう訳か白鹿は逃げるでも倒れるでもなく、微動だにしません。
「ん?」
これはただものではない(だから神様だとあれほど)……胸騒ぎがした嘉兵衛は、魔除けとして用意しておいた黄金の弾丸に、これまた魔除けの効果が高い蓬の葉を巻いて鉄砲に込めて、もう一発撃ちました。
あれが物怪であれば、今度こそ倒せるはず……しかし、それでも白鹿はびくとも動きません。
「え?」
さすがにおかしいと思って近づいて見ると、白鹿だと思っていたのは鹿の形をした白い岩でした。そりゃ弾を撃ちこんでも動かないはずです。
しかし……数十年にわたって山で暮らしてきた者が、岩と鹿を見間違えることなどありえません。
「これは魔障(魔性)の仕業に違いあるまい」
さすがに怖くなってきた嘉兵衛は、もうこれっきり狩猟をやめようと思ったのでした。
一、嘉兵衛と僧侶?
六二 また同じ人、ある夜山中に小屋を作るいとまなくて、とある大木の下に寄り、魔除けのサンズ縄をおのれと木のめぐりに三囲引きめぐらし、鉄砲を竪に抱えてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心付けば、大なる僧形の者赤き衣を羽のように羽ばたきして、その木の梢に蔽いかかりたり。すわやと銃を打ち放せばやがてまた羽ばたきして中空を飛びかえりたり。この時の恐ろしさも世の常ならず。(後略)
……とか何とか言いながら、どうにも狩猟がやめられない嘉兵衛は、相も変わらず山の暮らしを続けていました。
ある日、必死で獲物を追っていたのか、日が暮れて小屋がけ(雨露をしのぐ小屋の仮設)もままならないほど真っ暗になってしまいます。
「やれやれ……仕方あるまい」
嘉兵衛は大木の下をキャンプ地に定め、魔除けに持って来たサンズ縄(三途縄。葬式に用いた麻でなったもの)を周囲に三周引き巡らして結界として、鉄砲をいつでも撃てるようタテに抱えて仮眠をとることにしました。
やがて夜も更けたころ、物音がして嘉兵衛が目を覚ますと、巨大な僧侶が身にまとった赤い衣を翼のように羽ばたきさせながら、嘉兵衛のよりかかっていた大木に蔽(おお)いかかります。
「うわぁ!」
とっさに嘉兵衛が銃を撃つと、やがて衣を羽ばたかせながら中空を飛び去っていったのでした。この世のものとは思えない恐ろしさに、今度こそ山に入るのを止めようと思ったのですが……。
エピローグ
六二(前略)前後三たびまでかかる不思議に遭い、そのたびごとに鉄砲を止めんと心に誓い、氏神に願掛けなどすれど、やがて再び思い返して、年取るまで猟人の業を棄つること能わずとよく人に語りたり。
……やっぱりやめられなかったそうです。
「もう俺は今度こそ、鉄砲をやめる!狩りもやめる!」
「そう言って嘉兵衛おめぇ、氏神様に願をかけても三日ともたなかったじゃねぇか」
「うるせぇ、今度こそ本当だったら本当だ!」
よほど山の暮らしが性に合っていたのか、それとも里での暮らしがうまくいなかったのか……いずれにしても、獣や妖怪に食い殺されることなく天寿をまっとうできたようです。
これで、どんどはれ(物語の終わり文句)。
※参考文献:
- 柳田国男『遠野物語』集英社文庫、2011年6月
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