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【後編】戦後29年間、小野田寛郎かく闘えり【映画「ONODA 一万夜を越えて」】

昭和時代
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前回のあらすじ

昭和19年(1944年)、フィリピンのルバング島へ出征した陸軍少尉・小野田寛郎(おのだ ひろお)

「玉砕は許さん。何があっても生き延びて、援軍が来るまで持ちこたえろ」

命令を受けた寛郎たちはルバング島が米軍に完全制圧された後もジャングルに潜伏してゲリラ戦を継続。

兄弟たちも軍人だった小野田寛郎(右)。Wikipediaより

日本が敗戦した後も、そのことを知らずに戦い続けた寛郎たち。

脱走する者、戦死する者……ついに最後の一人となってしまった寛郎は、既に50歳を過ぎていたのでした……。

※前編はこちら

【前編】戦後29年間、小野田寛郎かく闘えり【映画「ONODA 一万夜を越えて」予習】

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スヘテノ作戦行動ヲ解除サル……30年ぶりに日本へ帰国

永年のゲリラ戦暮らし、いつまで経っても来ない援軍、そして迫りくる孤独と絶望……さすがの寛郎もいい加減に疲れ果ててしまったところ、昭和49年(1974年)2月20日、冒険家の鈴木紀夫(すずき のりお)と接触します。

最初は敵のスパイかと警戒していた寛郎も、次第に心を開くようになりますが……。

「上官の命令がなければ、私は任務を離れることができない(大意)」

そこで鈴木は寛郎の元上官に当たる谷口義美(たにぐち よしみ)元陸軍少佐を連れて再度ルバング島を訪れ、3月9日、敗戦から29年の歳月を経てようやく寛郎は任務を解除されたのでした。

一 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
二 参謀部別班ハ尚武作戦命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
三 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美

【意訳】
一、天皇陛下の勅命により、すべての作戦行動は解除された。
ニ、参謀部別班は、命令によりすべての任務を解除された。
三、参謀部別班に所属する部隊および関係者はただちにゲリラ活動をやめ、それぞれ最寄りの上官に従え。(近くに上官がいないなど)やむを得ない場合は直接米軍かフィリピン軍に投降してその指示に従え。

かくして任務解除された寛郎は3月10日にフィリピン軍のホセ・ランクード司令官に対して投降。翌3月11日にフェルディナンド・マルコス大統領と面会し、敗戦後のゲリラ行為に対する恩赦を受けました。

投降する小野田少尉が、軍刀を差し出している場面。Wikipediaより

それまで寛郎に限らず、日本の敗戦を知らなかったor信じなかった旧軍兵士らによる殺人・放火・略奪などを怨みに思った現地人が、投降した兵士を殺害するなどの事案があったと言います。

これに対して日本政府はフィリピン政府に対して3億円の見舞金を拠出。3月12日に空路で日本へ帰国した寛郎は、ほぼ30年ぶりに祖国の土を踏みしめたのでした。

エピローグ

敗戦後、何十年も戦い続けた寛郎の帰国はメディアを騒がせ、戦争の犠牲者として憐れむ者や不撓不屈の精神で任務をまっとうした英雄として賞賛する者、あるいは軍国主義の亡霊などと批判する者など、賛否両論だったものの、概ね好意的に受け入れられたと言います。

しかし、出征前とは大きく様変わりしてしまった日本の社会になじめなかった寛郎は、次兄・格郎を頼って昭和50年(1975年)にブラジルへ移住。牧場経営を軌道に乗せました。

イメージ

昭和59年(1984年)には次世代の祖国を担う日本青少年の健全育成を目的とした「小野田自然塾」を主宰、その後も保守派活動家として各種の愛国運動に協力。

平成22年(2010年)時点で都内に住んでおり、活動の拠点は日本においていたようです(一念発起して移住したブラジルになじめなかったのか、あるいはやはり祖国である日本を何とかしたいと思ったのでしょうか)。

平成21年(2009年)には「小野田寛郎の日本への遺言」と題した2時間の熱弁はじめ、精力的な講演活動を展開するも、平成26年(2014年)1月16日、東京都内の病院で91歳の生涯に幕を下ろしたのでした。

その死に際して、ニューヨーク・タイムズは小野田寛郎をこう論評しています。

「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」
「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐の大切さについて知らしめた」

“Hiroo Onoda, Soldier Who Hid in Jungle for Decades, Dies at 91”
(小野田寛郎。ジャングルに隠れ続けた兵士、91歳で死去)

戦争に敗れたことで、多くの日本人が忘れ去った大切なものを、たった独りで守ろうと闘い続けた小野田寛郎。その姿に、皆さんは何を感じられたでしょうか。

令和3年(金)10月8日から全国公開された映画「ONODA 一万夜を越えて(監督:アルチュール・アラリ)」。現代日本人の顧みなかった寛郎の戦いがどのように描かれているのか、是非とも拝見したいですね。

【完】

※参考文献:

  • 小野田寛郎『わが回想のルバング島 情報将校の遅すぎた帰還』朝日新聞社、1988年8月
  • 小野田寛郎『ルバング島戦後30年の戦いと靖国神社への思い』明成社、2007年6月
  • 戸井十月『小野田寛郎の終わらない戦い』新潮社、2005年7月

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