槍もトークも一級品
渡辺守綱 わたなべ・もりつな
[木村昴 きむらすばる]武芸で活躍する家系に生まれ、戦場では先鋒をつとめる大男。向こう見ずな性格で、槍をふりまわす。普段は手よりも口を動かすのが得意なおしゃべり好き。三河一向一揆では一揆側につき、家康に槍を向ける。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
「鎌倉殿の13人」では以仁王(もちひとおう)を演じた木村昴さんが、2年連続の大河ドラマ登場ですね。今回はおしゃべり好きということで、前回以上に声優として本領発揮できるでしょう。
さて、そんな渡辺守綱(わたなべ もりつな)とはどんな武将だったのでしょうか。今回はその生涯をたどってみたいと思います。
戦場を駆け抜けた槍半蔵
渡辺守綱は天文11年(1542年)、松平家に仕えた譜代の家臣・渡辺高綱(たかつな)と渡辺義綱女(よしつなのむすめ)の間に生まれました。かの酒呑童子を退治した頼光四天王の一人・渡辺綱の末裔と伝わります。
通称は半蔵(はんぞう)または忠右衛門(ちゅうゑもん)、槍の名手であったことから槍半蔵(やりはんぞう)との二つ名をとり、服部半蔵(演:山田孝之)の鬼半蔵と並び称されました。
数々の武勲を立てた「槍半蔵」こと守綱。しかし信仰心の篤さから一向宗に傾倒、永禄6年(1563年)に三河国で勃発した三河一向一揆ではあろうことか主君の徳川家康(演:松本潤)を裏切ってしまいました。
ただし三河一向一揆では徳川家臣団のおよそ半数が寝返ったとも言われており、苦戦した家康は宗教の底知れぬ恐ろしさを痛感したことでしょう。
その後、一向一揆が鎮圧されると守綱は降伏。家康に赦されてその後は絶対の忠義を誓います。家康の慈悲に報いようと持ち前の武勇を奮い、数々の合戦で武功を立てました。
元亀元年(1570年)6月の姉川合戦では浅井長政(演:大貫勇輔)らを相手に一番槍の大手柄、武田信玄(演:阿部寛)に敗れた元亀3年(1573年)12月の三方ヶ原合戦でも先鋒を務めます。
また天正3年(1575年)5月の長篠合戦では武田の武将・山本菅助(やまもと かんすけ。山本勘助の子)を討ち取り、天正12年(1584年)に羽柴秀吉(演:ムツヨロシ)と争った小牧・長久手合戦でも先陣を切りました。
天正18年(1590年)に家康が三河から江戸に移転すると、守綱は武蔵国比企郡(現:埼玉県)に所領3千石を賜わります。また慶長5年(1600年)には永年の功績により1千石を追加、足軽組頭となります。
やがて慶長13年(1608年)には尾張藩主となった家康の九男・徳川義直(よしなお)を補佐する家老を命じられ、1万4千石の大名に昇格します。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣に出陣して義直の初陣を後見しました。
そして元和6年(1620年)に世を去り、79歳の生涯を幕を下ろしたのです。
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終わりに
以上、渡辺守綱の人生を駆け足でたどってきました。渡辺の家督は嫡男の渡辺重綱(しげつな)が継いでいます。通称の半蔵も襲名しており、大坂の陣においては夏・冬ともに先陣を切って父に恥じぬ働きを見せました。
ただ一度の過ちを悔いて、赦してくれた家康に報いようと懸命の働きで応えた守綱。木村昴さんがどんな思いで家康に槍を向け、また受け容れられたのか、そんな主従のドラマが見どころとなるでしょう。
令和5年NHK大河ドラマ「どうする家康」、今から皆さんの好演が楽しみですね!
※参考文献:
- 伊藤賀一 監修『家康の戦略を支えた最強徳川家臣団のすべて』宝島社、2022年11月
- 野中信二『徳川家康と三河家臣団』学陽書房、2022年12月16日
- 『徳川四天王 精強家康軍団奮闘譜』学研プラス、1991年1月
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