源為理の娘
斎院の中将(さいいんのちゅうじょう)
小坂 菜緒(こさか・なお)源為理の娘。62代・村上天皇の第十皇女である選子内親王(のぶこないしんのう)に仕える。藤原惟規の恋人。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
第34回放送「目覚め」で、蔵人に抜擢された藤原惟規(高杉真宙)。久しぶりに姉のまひろ(藤式部。吉高由里子)とこんな会話を交わしていました。
まひろ「いい人がいるの?」
惟規「俺、神の斎垣(いがき)を越えちゃうかも!」
これを聞いて(あらまぁ!)という表情をしていたまひろですが、神の斎垣を越えるとは、どういう意味なのでしょうか。
今回はその謎を深掘りしてみたいと思います。
聖域に夜這いをかける
結論から先に言うと「神の斎垣を越える」とは、要するに「聖域に侵入する」という意味です。
斎垣(いがき)とは斎(いつき。聖域)の境界を示す垣根のこと。
正面(鳥居や神門など)からではなく垣根を越えるというのは、つまり侵入する行為を指します。
この場合は聖域で神に仕える女性に夜這いをかけるという意味になるでしょう。
そして惟規が言っている神の斎垣とは、賀茂神社(上賀茂神社、下鴨神社)のこと。斎院の選子内親王(せんし/のぶこ)に仕える女房・斎院の中将が目当てでした。
この斎院の中将とは、どんな女性だったのでしょうか。
斎院の中将(中将の君)とは?
斎院の中将は生年不詳、源為理(ためまさ)と播磨(はりま)の娘として誕生しました。
播磨は大江雅致(おおえの まさむね)の娘と言われ、一説には和泉式部(役名あかね)の妹と考えられています。
だから斎院の中将は、和泉式部の姪と言えるでしょう。
父が長徳2年(996年)から亡くなる長和5年(1016年)までの20年間にわたって斎院長官を勤めたことから、娘も斎院に仕えたのでした。
女房名の中将とは、身内か夫に中将がいたためと考えられますが、それが誰かハッキリしたことは分かりません。
惟規と恋仲になったのは彼が六位蔵人となった寛弘4年(1007年)以降のことでした。
惟規、危機一髪!
ある時、惟規が斎院の中将がいる局へ忍び込んだところ、その様子を斎院の女官に発見されてしまいます。
「何者か!」
惟規は問いかけに答えなかったため、女官は不審者を逃がさないよう、門扉を閉鎖してしまいました。
このままでは捕まってしまう……惟規は斎院の中将に泣きつきます。
「分かりました。斎院様にお願いしましょう」
事情を聞いた斎院・選子内親王(せんし/のぶこ)は女官に門扉を開放してあげるよう命じました。
「神の斎垣を越えた方は歌人ですから、お帰しして差し上げなさい」
かくして門扉は開放され、惟規は無事に帰れることになります。
「ありがとうございました」
「よいのですよ」
お礼とばかりに惟規は即興で歌を詠みました。
神垣(かむがき)は 木の丸殿(このまるどの)に あらねども
名のりをせねば 人咎めけり【意訳】ここは木の丸殿でもないのに、名乗らないと咎められてしまうのですね。
木の丸殿とは、かつて天智天皇(推古天皇34・626年生~天智天皇10・672年没)が隠棲していた場所のこと。天智天皇は自ら先に名乗るのをはばかり、訪問者から先に名乗らせたといいます。
故事を踏まえた和歌に、選子内親王は大変感心されたのでした。
惟規の死
その後、惟規と斎院の中将の関係がどうなったかはよく分かっていません。
ただ手紙のやりとりはしており、手紙を入手した紫式部(藤式部)が、斎院の女房たちについて批判を加えています。
※兄弟の手紙を勝手に読んでおいて、それはないと思いますが……。
ちなみに惟規は、寛弘8年(1011年)2月に父・藤原為時が越後守として現地に赴任すると、これへ同行。同年に現地で卒去してしまいました。
みやこには 恋しき人の あまたあれば
なほこのたびは いかむとぞ思(ふ)【意訳】京都には恋しい人がたくさんいるので、今回は生きて帰ろうと思……
最後の(ふ)は書けずに力尽きてしまったため、為時が書き足してあげたそうです。
斎院の中将もまた、惟規の「恋しき人」の一人だったのでしょうか。
彼女の晩年や最期について、詳しいことは分かっていません。
終わりに
今回は藤原惟規の恋人である斎院の中将について紹介してきました。
ちなみに惟規は藤原貞仲女(さだなかの娘)などを娶っており、藤原貞職(さだもと)・藤原経任(つねとう)などの子供を授かっています。
果たして斎院の中将はどんな女性に描かれるのか、小坂菜緒の演技に期待しましょう!
※参考文献:
- 南波浩 校注『紫式部集 付 大弐三位集・藤原惟規集』岩波文庫、2024年2月
- 服藤早苗 編『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』明石書店、2017年3月
コメント