「さぁさぁみんな買ったり買ったり!仇討ち・心中・何でもござれ、これを読まなきゃ始まらないよ!」
威勢のよいかけ声と共に、橋のたもとや辻々で売られる瓦版(かわらばん)。江戸時代の大衆メディアとして、庶民たちの好奇心や知識欲に応えていました。
そんな瓦版ですが、実はこの名が登場するのは幕末以降。それより前は「読売(よみうり)」とか「絵草紙(えぞうし)」などと呼ばれています。
瓦版と言えば時代劇の定番アイテムで、江戸時代をイメージを大きく形づくる名前と思いきや、意外ですね。
現代でもビラの雅称として一部で使われ続けるこの瓦版という名前ですが、なぜ瓦版と呼ばれるようになったのでしょうか。
今回はそんな瓦版の語源を紹介したいと思います。
瓦版の語源は?
瓦版の語源については、以下の諸説があるようです(他にもあるかも知れません)。
- 木版の代わりに粘土板で印刷したことから?
※木版に比べて簡単に彫れるが、印面の仕上がりが粗雑になりがち。 - 印刷した紙が瓦とほぼ同サイズだったから?
- 河原者(かわらもの。非定住者)が印刷していたから?
- 厠(かわや)版が訛ったから?
※公衆トイレの落書きレベルの低俗なネタを扱ったから?
※厠の尻拭き紙にしか使えないくらい低俗なネタを扱ったから?
とまぁこんな具合にたくさんあるものの、どれも決定打とはなっておらず、あくまで推測に過ぎません。
全体的に「読売」や「絵草紙」に比べて格下に扱われていたと考えられます。
幕末に生まれた「瓦版」の呼び名
ちなみに瓦版という名前が生まれたのは幕末ごろからだそうです。
天保の改革によって綱紀粛正が図られ、大手メディアに対する規制が強まる時期でした。
規制の隙を縫うように中小零細メディアが登場、粗悪な粘土板で読売を発行するようになります。
製版方法と印質の粗悪さから瓦版と呼ばれましたが、素早く大量の情報を発信できる広報媒体の存在は、社会の利器として重宝されました。
例えば安政江戸地震の直後に発行された瓦版「関東江戸大地震并大火方角場所附(かんとうえどのおおじしんならびにたいかのほうがくばしょつき)」では、江戸各地の被災状況や避難所(御救小屋)の設置箇所などを詳しく報道。被災者にとって、大きな安心材料となったことでしょう。
また参勤交代のために江戸へやって来た大名行列が、江戸城の下馬先で瓦版を購入するのがお決まりとなっていました。
恐らく久しぶりのお江戸事情をいち早くつかむツールとして、重宝していたのでしょう。
巧遅よりも拙速こそ瓦版の強みでした。
エピローグ
やがて明治維新が起こり、写真の普及によって雑誌や新聞が東京のメディア界を席巻していきます。
そんな中でも瓦版はしぶとく生き延び、庶民の情報ツールとして命脈を保ちました。
いつしか姿を消した瓦版ですが、大正・昭和・平成そして令和の現代でも、広報媒体の雅称としてその名が使われ続けています。
どんなに粗悪でもみんなに情報を伝え続けたい。瓦版という名前には、そんな思いが込められているようです。
※参考文献:
- 森田健司『江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体』洋泉社、2017年7月
- 『精選版日本国語大辞典 第1巻』小学館、2005年12月
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