時は寛政3年(1791年)、山東京伝は『娼妓絹籭(しょうぎ きぬぶるい)』『仕懸文庫(しかけぶんこ)』そして『青楼昼之世界錦之裏(せいろうひるのせかい にしきのうら)』という三冊の洒落本(しゃれぼん。性風俗を中心に紹介するカルチャー書籍)を出版しました。
寛政の改革にともなう風紀粛正や出版統制に配慮したのか、教訓読本(道徳向上の読み物)と銘打ってはいたものの、どう見ても洒落本以外の何物でもありません。
今回はその一つである『娼妓絹籭(しょうぎ きぬぶるい)』から、山東京伝による自序を紹介。果たしてどんな趣向が凝らされているのでしょうか。
娼妓と将棋をかけて……

煙花(いろざと)を将棋の局面に設け、娼妓の駒下駄の往来(ゆきき)を観るに、茶屋に客を待棋子(まちごま)あり、籬で私夫(まぶ)に間棋子あり。大道(だいつう)直(なお)うして飛車先の如く、素痴(やぼ)曲つて角道に似たり。初会の席上(ざしき)に初王手あり。馴染みの閨中に入王あり。色は金銀に有つて思案になし。堅き心の石田も崩れ、櫓に囲ふとも忽ち破る可恐(おそるべ)し。巧計(てくだ)のために都詰逼とならんことを、桂馬は誇つて歩兵の餌となり、香車(驕奢)の慮りなきは謬自(おのれをあやま)つ。或は飛車手王手の義理に纏(からめ)られ、或は後王手の借金に苦しむ。手のなき時は端の歩をつくづく苦にする茶屋の借。臨期(ごにのぞ)んで二歩をつかひ、留守をつかふといへども、借金乞(かけこひ)の為に逃げ道を失い、遂に雪隠逼(せっちんづめ)となるあり。嫖客(じょろう)と将棋を圍(さ)すは一手先はみえざるべし。即ち娼妓絹ぶるひを作る。予がへほ象戯(ヘボ将棋)の及ばざる所は、段将棋の助言を乞ふ而己(のみ)。
※山東京伝『手段逼物娼妓絹籭(てくだつめもの しょうぎきぬぶるい)』自序
ざっくり意訳

色里における恋の駆け引きは、将棋の駆け引きと似たようなものです。
遊女たちが駒下駄を履いて行き交う姿を見ていると、茶屋でお客を待っていたり、籬をへだててお客と語り合っていたり。
通の遊び人は大胆かつストレートに、飛車のようなアプローチ。いっぽう野暮なお客に限って、気取ったアプローチを試みる様子は角行のよう。
初会の座敷は初めての王手と同じ。お目当ての遊女を前にしても、あせってはいけません。どうせ初手は逃げられるのだから。
遊女たちとの距離を詰めるのに大切なのは金銀(金将・銀将の駒。また金銭をかける)であって、下手な浅知恵ではない。金銀で詰めていけば石田の守りも崩れ、櫓囲いだってたちまち破られてしまう。
小細工が過ぎて八方ふさがりの都詰めにならないように。桂馬はなまじ跳んで進めるために歩兵(ふ)の餌食となり、香車はひたすら真っすぐ突き進んで自滅してしまう。
あるいは王手飛車取りの功を狙ってしくじり、後から王手に追い詰められる。打つ手がなくなり盤端の歩兵をチマチマ進めるやるせなさと言ったらない。
いよいよテンパって二歩(一列に歩兵を二つ置く反則)をやらかし、居留守を使っても逃げきれず、最後は雪隠詰め(トイレに籠もること)となるばかり。
まったく娼妓と将棋の駆け引きは、一手先さえまったく見えない。これが娼妓の絹籭(きぬぶるい)、目が細かくて油断も隙もありゃしない。私の将棋はヘボ将棋なので、どうか皆様のご助言を乞うばかりです。
終わりに

とまぁこんな具合。娼妓たちとのやりとりに将棋用語をからめ、面白おかしく紹介しています。
恋も将棋も駆け引きは難しいもの。達者な方であれば「うんうん、あるある」と面白おかしく読めるでしょうか。
自身が遊び人だったという京伝先生ならではの傑作と言えるでしょう。
だからこそ、当局もけしからんと取り締まったのでしょうが……。
※参考文献:
- 『江戸軟派全集 洒落本集 第三』江戸軟派全集刊行会、1927年