JR東海道線の辻堂駅~茅ヶ崎駅間にある新田踏切(しんでんふみきり。茅ヶ崎市代官町7)。そのかたわらに、ひっそりとたたずむ石碑にお気づきでしょうか。

通りすがりに興味が湧いたので、今回調べてみました。
JRに問い合わせた結果は?

ひざ丈ほどの小さな碑面には「妙法 鉄道轢死者供養塔」の文字。建立されたのは「昭和三十年三月廿一日」、施主は「新倉長蔵」氏でした。
この辺りを歩いていると新倉さんが多いようなので、長蔵さんは地元の名士だったのでしょう。まだご存命なら、相当な高齢と思われます。
【妙法 鉄道轢死者供養塔・調査データ】
- 建立:昭和30年(1955年)3月21日
- 供養:鉄道轢死者(人数や詳細は不明)
- 宗派:日蓮宗か(妙法の文言より)
- 施主:新倉長蔵
こちらの供養塔は鉄道構内にあったので、JRの管轄だろうと考え、さっそく問い合わせてみました。供養塔が建立された事情や経緯について知りたかったのですが……。
辻堂駅窓口「お問い合わせ窓口に電話してください」⇒お問い合わせ窓口「メールフォームから問い合わせてください」⇒そしてメールフォームへ。これを世の人は「たらい回し」と言います。
さぁ大いに回したたらいの行方は……?
「(前略)このたびお問い合わせいただいた鉄道敷地内の慰霊碑について、当社にて社内資料や関係部署を含め調査を行いましたが、記録や設置経緯を確認することはできませんでした。何卒ご理解賜りますようお願いいたします。(後略)」
※メールより。
……とのことでした。令和7年(2025年)からもう65年も昔のことですし、しょうがないのかも知れませんね。
敗戦後の不安と希望の中、轢死者たちは何を思ったのか

それにしても、鉄道轢死者の方々はどんな事情で命を落としてしまったのでしょうか。
- 無理に線路を渡ろうとした(横断事故)?
- 列車に飛び乗ろうとした(無賃乗車)?
- 酔っ払って線路で寝てしまった?
- それとも自ら命を絶ってしまった?
いずれにしても、昭和20年代(1945~1954年)には、少なくない方が鉄道事故に遭われたようです。敗戦後の復興期において尊い人命が失われたことは、誠に残念でなりません。

戦後80年を迎え、豊かになった現代日本を、彼らはどのような思いで見守っているのでしょうか。
こちらの供養塔を、生命と安全の尊さを再認識する縁(よすが)としたいものです。

