大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?
小一郎(仲野太賀)がかつて京都でひょっこり出会った土佐(高知県)の戦国大名・長宗我部元親(磯部寛之)。
「いつか土佐に遊びに来い。旨い魚と酒をご馳走してやる」
などと友好ムードでしたが、その後図らずも対立することとなってしまいました。
※ちなみに小一郎と元親が京都で会った記録は確認できません。大河ドラマの創作でしょう。
そして天正13年(1585年)、ついに羽柴秀吉(池松壮亮)は四国討伐の兵を挙げたのです。
今回は秀吉と小一郎による四国平定の流れをざっくりとおさえ、大河ドラマの予習に役立ててもらえたらと思います。
交渉決裂により、四国討伐を決定

天正12年(1584年)に秀吉と徳川家康(松下洸平)が小牧・長久手合戦で争って以降、家康は長宗我部元親と連携を強めていました。
東(東海地方)から家康、西(四国地方)から元親に挟撃されてはたまりません。
そこで秀吉はまず元親を軍門に下そうと考えます。
いっぽう元親も秀吉の意向は察知しており、また正面から戦っても勝てないことは承知のため、まずは和睦を図りました。
「伊予(愛媛県)一国を割譲するので、和睦したい」
しかし秀吉はこれを認めません。対等な立場での和睦ではなく、完全に降伏するよう要求したのです。
元親とすれば、戦わずして膝を屈する訳にはいきません。かくして交渉は決裂し、秀吉は四国討伐を決しました。
10万の大軍が3方向から進撃

しかし当時、秀吉は体調がすぐれなかったため、小一郎を総大将に任じます。
そして天正13年(1585年)6月に阿波・伊予・讃岐(香川県)の3方向から同時に四国へ攻め込ませました。
- 阿波方面:小一郎・蜂須賀家政・赤松則房ら
- 伊予方面:小早川隆景・吉川元長ら
- 讃岐方面:宇喜多秀家・仙石秀久・十河存保ら
総勢10万とも言われる大軍に対して、元親らも4万の軍勢で抗戦します。
【阿波方面】
阿波木津城(きづ。鳴門市)・ 阿波牛岐城(うしき。阿南市)・阿波一宮城(徳島市)など
【伊予方面】
伊予丸山城(西条市)・伊予高尾城(西条市)・伊予高峠城(西条市)など
【讃岐方面】
讃岐喜岡城(きおか。高松市)・讃岐植田城(高松市)など
果敢に抵抗するも、7月中にはいずれも攻略されてしまいました。8月に入ると元親は降伏を決断し、小一郎の軍門に降ったのです。
その後の元親

これまで苦心の末に四国をほとんど統一していた元親ですが、安堵された所領は土佐一国20万石のみでした。
ほか讃岐・阿波・伊予の三国については戦功のあった家臣たちに配分され、四国は秀吉政権の支配下に組み込まれたのです。
その後、元親は秀吉の命令で九州征伐に従軍し、戸次川の合戦で敗北を喫しました。
この敗戦で嫡男の長宗我部信親(林裕太)を喪い、これが元親ひいては長宗我部家の命運を暗転させていくことになります。
終わりに
今回は小一郎による四国討伐をわかりやすく紹介してきました。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、小一郎と元親や四国戦線の激闘をどのように描くのでしょうか。
秀吉の天下一統がますます勢いづく様子を、楽しみに見守りましょう!
※参考文献:
- 小和田哲男『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年
- 平井上総 編『戦国武将列伝10 四国編』戎光祥出版、2023年1月
- 山本大『長宗我部元親』吉川弘文館、1988年1月

