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徳川家康の窮地「神君伊賀越え」を助けた多羅尾光俊とその一族【どうする家康】

戦国時代
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時は天正10年(1582年)6月2日。織田信長(おだ のぶなが)が信頼していた家臣・明智光秀(あけち みつひで)の謀叛によって横死。

いわゆる「本能寺の変」を知らされた時、「我らが神の君」こと徳川家康(とくがわ いえやす)は堺で外遊中でした。

さぁ大変です。明智に呼応する者たちが、信長の盟友である家康を見逃すはずはありません。

一刻も早く本国の三河へ帰らねば……大きな街道は既に押さえられているため、険しい山道を越えていかねばならないのです。

「必ずや 生きて帰って 仇を討つ」決意する家康(イメージ)

これが家康の生涯における三大危機「神君伊賀越え(しんくんいがごえ)」。命からがら逃げ延びられたのは、ひとえにみんなのお陰でした。

今回はそんな支援者の一人、多羅尾光俊(たらお みつとし)を紹介。果たして彼は何者で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

さっそく『寛政重脩諸家譜』の記述を読んで行きましょう。

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織田信長に仕える

●光俊
四郎兵衛 四郎右衛門 入道號道賀 母は池田丹後守教正が女。
織田右府に属し、舊領近江国甲賀郡信楽の小川に住す。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

多羅尾光俊は通称を四郎兵衛(しろべゑ)または四郎右衛門(しろうゑもん)と言いました。

元の四郎に兵衛(ひょうゑ)や右衛門(ゑもん)の官職を自称でつけたのでしょうが、TPOで使い分けていたのでしょうか。

今も昔も肩書きの多いヤツにロクなのはいませんが、何となく、そんな気配を感じます。

何某「おい四郎兵衛、この前はやってくれたな!」

光俊「ん、人違いではないかな?それがしは四郎右衛門にござる」

……とか何とか(あくまで勝手な想像です)。

後に出家して法号を道賀(どうが、どうか)と名乗り、母親は池田教正(いけだ のりまさ。丹後守)の娘とのこと。

※ちなみに父親は多羅尾光吉(みつよし。左京進、和泉守)と言います。

織田信長に仕え、代々近江国甲賀郡信楽(滋賀県甲賀市)に暮らしていました。

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いざ仇討ち!?血気に逸る家康

信長主従の最期。落合芳幾「本應寺大合戦之図」

……天正十年東照宮和泉国境の地を御遊覧のとき、六月二日明智光秀叛逆して右府生害あるよしきこしめされ、たゞちに光秀を征伐あるべしと京師に御馬をすゝめらるゝといへども、途中にして長臣等しゐてこれをいさめたてまつりしかば、すでに台駕を旋したまふべきにいたる。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

さて、本能寺の変が起きた時、まず家康は「今すぐ織田殿の仇討ちに行くぞ!」と京都へ向かいます。

「いやいや何を仰せか、まずは三河へ戻って兵を集めねばなりませぬ!」

家臣たちに諌められ、仕方なく家康は馬首を京都から三河へ回したということです。

山口光広の出迎え

……このときにあたり海道筋はことゞゝく敵地となるにより、長谷川秀一を郷導として大和路より河内、山城等所々の山川をへて漸く近江路におもむかせたふ。こゝに田原の住人山口藤左衛門光広は光俊が五男にして秀一も舊好あるにより、彼宅に入御ならしむるのところ、光広飛札を乞てことのよしを父光俊が許につぐ。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

とは言うものの、主要な街道筋は明智の手の者に押さえられています。

「ここは土地勘のあるそれがしが……」

徳川家臣・長谷川秀一(はせがわ ひでかず)の道案内により、何とか敵の監視や落ち武者狩りをくぐり抜けました。

「この辺りを治める山口藤左衛門(やまぐち とうざゑもん。山口光広)殿はそれがしの旧知なれば、護衛を頼みましょうぞ」

さっそく家康ご一行は山口邸へ迎えられ、光広は父・光俊へ家康を出迎えるよう伝えました。

※光広は多羅尾光俊の五男で、山口家の養子になっていたのです。

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一族あげて大歓迎、勝軍地蔵を献上する

手厚くもてなされる家康(イメージ)

……光俊男光太とともにすみやかにむかへたてまつり、山田村にをいてはじめて拝謁し、それより信楽の居宅にいらせたまふ。光俊一族等とともに甲賀の士を率ゐてこれを警衛し、その夜御膳をたてまつり、種々こゝろをつくして守護せしかば、御前にめされ、懇の仰をかうぶる。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

「何と、それはすぐにお迎えせねば!」

光俊はさっそく嫡男の多羅尾光太(みつもと。彦一、久右衛門、左京進)と共に多羅尾一族や甲賀衆を率いて家康を出迎えました。

心強い警護に、手厚いもてなしを受けた家康は、地獄に仏を見た思いだったことでしょう。

……このとき光俊年ごろ尊敬せし勝軍地蔵の霊像を献ず。今江戸愛宕山圓福寺の本尊これなり。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

「これはわしが、日ごろから拝んどる勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)にござる。きっと徳川様の道中を御加護くださいましょうぞ」

「おぉ、これはかたじけない」

この時に贈られたお地蔵様は大切に持ち帰られ、やがて江戸の愛宕山円福寺(あたごさんえんぷくじ。東京都港区)に祀られました。

現代でも同寺のご本尊様として、人々の崇敬を集めているそうです。

息子らを護衛につけてお見送り

……すでにして帰路におもむかせたまふのときも、三男九八郎光雅、五男光広等に従者五十人、をよび甲賀の士百五十余人をそへて伊賀路を郷導し、伊勢国白子の浜までしたがひたてまつらしむ。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

「それでは、世話になったな」

「いえいえ。こちらこそ徳川様のお役に立てて、光栄にございまする」

「この恩義、決して忘れぬぞ」

一息ついた家康が旅立つ際も、光俊は三男の多羅尾光雅(みつのり。作兵衛、久八郎)と山口光広に200の兵をもって護衛させました。

かくして家康ご一行は伊賀路を抜けて、ぶじ伊勢国白子(三重県鈴鹿市)までたどり着きます。

……のち御使もてさきの勤労を賞せられ、来国行の御刀及び時服、黄金、馬等をたまひ、十二年三月二十三日山城近江両国のうちにをいて、采地をたまふべきむね御判物を下さる。……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

後日、家康は使者を遣わして伊賀越えを助けてくれた忠義に感謝を伝えました。

そして褒美に国行(くにゆき)の太刀と時服(じふく)として黄金や駿馬などを光俊に与えたそうです。

ちなみに時服とは季節の服装、つまりここでは衣替え費用を指します。

多羅尾一族は、家康にとって命の恩人。彼らの行動が、日本の歴史を大きく変えたと言えるかも知れませんね。

エピローグ

其後豊臣太閤につかへ、関白秀次事あるのとき、光俊が一家ことゞゝく改易せられ、信楽に蟄居す。慶長十四年二月四日死す。年九十六。法名道賀。近江国小川の大光寺に葬る。妻は伊勢伊勢守貞孝が養女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

そのまま家康に仕えるのかと思いきや、天下の政権は明智光秀を討ち取り信長の仇討ちを果たした羽柴秀吉(はしば ひでよし。豊臣秀吉)のものに。

落ち武者狩りで命を落とした明智光秀。「明智光秀小栗栖之図」

多羅尾一族は秀吉に仕え、光俊は孫娘(光太の長女)を羽柴秀次(ひでつぐ。秀吉の甥)に嫁がせるなど、関係を深めます。

しかし秀次が謀叛の濡れ衣で切腹させられると、一族ことごとく改易。所領を全没収された挙句、蟄居させられてしまいました。

ちなみに孫娘も処刑されてしまいます。妹(光太の次女)と一緒に徳川家へ仕えていれば……祖父として、悔やみきれない思いだったことでしょう。

そして慶長14年(1609年)2月4日、光俊は96歳という長寿で世を去ったのでした。

ちなみに父の光吉は91歳、嫡男の光太は光俊と同じ96歳まで生きており、よほど長寿の家系だったのですね。

墓所は近江国小川(滋賀県甲賀市)の大光寺にあり、子孫たちから手厚く祀られたのでした。

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終わりに

【多羅尾光俊・略年表】

永正11年(1514年 誕生

時期不詳 伊勢貞孝の娘を娶る

天文年(1552年) 嫡男・光太が誕生

永禄11年(1568年) 父・光吉が死去

時期不詳 信長に仕える

天正10年(1582年)6月 家康を助ける

時期不詳 秀吉に仕える

時期不詳 秀次に孫娘を嫁がせる

文禄4年(1595年)7月 秀次事件で改易される

慶長5年(1600年) 関ヶ原の合戦

慶長8年(1603年) 家康が征夷大将軍に

慶長14年(1609年)2月4日 死去

【多羅尾光俊の子供たち】

長女・神山佐渡(かみやま さど)妻

長男・多羅尾光當(みつまさ。勢藤次)……病弱のため家督を継げず。

次男・多羅尾光太

三男・多羅尾光雅

四男・多羅尾伊兵衛(いへゑ)

五男・山口光広

六男・多羅尾光時(みつとき。孫兵衛)

【孫娘二人】

光太の娘

女子 関白秀次につかへ、秀次事あるのとき、京師にをいて殺害せらる。

女子 いとけなきより東照宮の御傍ちかくつかへたてまつる。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九百四十六 藤原氏(支流)多羅尾

以上、多羅尾光俊はじめ一族のエピソードを紹介してきました。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」には登場するのでしょうか。登場するなら、キャスティングが誰なのかも楽しみですね!

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第五輯』国立国会図書館デジタルコレクション

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