令和5年もよろしくお願いします。

目立たない事務方?甲本雅裕が演じる夏目広次とはどんな武将だったのか【どうする家康】

戦国時代
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夏目広次 なつめ・ひろつぐ

[甲本雅裕 こうもと まさひろ]

武骨な武将が多い家臣団の中で、家康を実務面で支える事務方の男。いつも目立たず、家康からは名前をなかなか覚えてもらえないが、武田家との大決戦・三方ヶ原の戦いでは大きな使命を果たす。夏目漱石の祖先ともいわれる。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

よく「縁の下の力持ち」などと言うように、裏方はとても大切ですが、表から見えないぶん軽く扱われてしまいがち。

甲本雅裕が演じる夏目広次。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

令和5年(2023年)NHK大河ドラマ「どうする家康」では「名前を覚えてもらえない事務方の家臣」設定らしい夏目広次(なつめ ひろつぐ)。果たして彼はどんな生涯を送るのか、大河ドラマの予習をしていきましょう。

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目立たない?夏目広次の武勇伝

夏目広次は永正15年(1518年)、夏目吉久(よしひさ)の子として三河国幡豆郡豊坂村(現:愛知県幸田町)で生まれ、徳川家康(演:松本潤)に仕えます。

通称は次郎左衛門(じろうざゑもん)、戦場でも目立っていたようで永禄4年(1561年)に三河長沢城(現:愛知県豊川市)を攻めた折に武功を上げました。

永禄5年(1562年)に八幡村城を攻めた時は敗北するも、逃げる家康を守るため殿軍(しんがり)を務め、六度にわたって踏みとどまります。この武勲により、後で家康から褒美として備前長光(びぜんながみつ)の脇差を与えられたそうです。

しかし一向宗に帰依していた広次は永禄6年(1563年)に三河で一向一揆が勃発すると、あろうことか家康に叛旗をひるがえしてしまいました。

三河一向一揆。月岡芳年筆

広次は大津半右衛門吉明(おおつ はんゑもんよしあき)・乙部八兵衛(おとべ はちべゑ)・久留善四郎正勝(くる ぜんしろうまさかつ)らと共に六栗城(現:愛知県額田郡幸田町)を奪取して立て籠もります。

善戦したものの乙部八兵衛が徳川方へ内通、ついに陥落して広次らは捕らわれてしまったのです。一命は赦されたものの帰参することも叶わず、途方に暮れていたところを松平伊忠(まつだいら これただ)に引き取られました。

かつての忠義と武勇を惜しまれてのことで、後に赦されて家康の元へ帰参します。同年中に三河・遠江国(現:静岡県西部)の郡代となっていることから、よほど評価されていたのでしょう。

それからは一切の迷いを断ち切って以前にも増して忠勤に励んだ広次。そんな彼に転機が訪れたのは元亀3年(1573年)12月22日、後世に言う「三方ヶ原の合戦」です。

武田信玄(演:阿部寛)を迎え撃つべく出陣した家康。その後方を固めるために浜松城(現:静岡県浜松市)を守備していた広次ですが、遠く前線で家康が苦境に陥っているのが見えました。

三方ヶ原合戦の死闘。歌川芳虎筆

「すわっ、御屋形様の一大事!」

守備を家来に任せて単騎とび出してきた広次は、家康に撤退するよう諫言します。

「このままでは、お命が危のうござる!退くも勇気にございますれば……」

「えぇい離せ!武田の者どもに、一矢報いず退がれるものか!」

家康が乗る馬の轡(くつわ)を掴んで押し問答。そんなことをしている間にも、武田の軍勢がすぐそこまで。このままでは主従揃って討死です。

「御免!」

広次は轡を思いっきり引っ張ると、持っていた刀の峰(刃の背)で馬の尻をぶっ叩きました。さぁ馬の驚くまいことか、一心不乱に浜松城へ暴走します。こうなっては家康も制御できません。

「ここから先へは行かせぬ、わしが相手じゃ!」

わずか25騎の手勢を率いて武田の大軍に突入した広次は散々に斬り回り、壮絶な最期を遂げました。享年55歳。

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終わりに

以上、夏目広次の生涯をたどって来ました。全体的な印象としては、事務処理よりも槍働きの方が目立つというか、少なくとも名前も覚えられないほど印象の薄い人物ではないように感じますが……どうなんでしょうね。

逃走する夏目吉次(イメージ)

ちなみに広次の五男・夏目吉次(よしつぐ)は殺人を犯して徳川家中を飛び出し、名前を変えて舞い戻っていたそうですが、関ヶ原の合戦が終わった後にバレてしまいました。父に劣らぬ武功を立てて(目立って)しまったのでしょうか。

ついに年貢の納め時か……観念した吉次を、家康は父の忠義に免じて赦してやり、嫡男・徳川秀忠(ひでただ)の配下に加えたということです。

現在、広次の墓は明善寺(愛知県幸田町)と法蔵寺(愛知県岡崎市)の境内にあり、法蔵寺の墓は家康が建立させたと伝わります。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」ではどんな活躍を見せてくれるのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 阿部猛ら編『戦国人名事典』新人物往来社、1987年2月
  • 高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1963年2月

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コメント

  1. キング より:

    三河国幡豆郡豊坂村(現:愛知県西尾市)とありますが、(現:愛知県幸田町)の間違いではないでしょうか?

    • 歴史屋 より:

      キング様

      初めまして、コメントありがとうございます。
       
      ご指摘をいただいて確認したところ、勘違いでしたので修正いたします。
       
      ありがとうございます。

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