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徳川家康が生きた戦国時代(室町後期~江戸初期)の元号・西暦対照表【どうする家康】

戦国時代
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皆さん、日本史は好きですか?

中には「日本の歴史は好きなんだけど、元号がめんどくさい」という方もいるのではないでしょうか。

確かに元号は西暦と違ってコロコロ変わるため、分かりにくいのが難点です。

とは言え元号は日本がかつて独立国家となった記念であり、今や世界で唯一受け継がれている文化ですから、大切にすべきではないでしょうか。

(何なら日本の建国から一貫して使われている皇紀もいいですね。西暦に660年をプラスするだけで変換できます)

そこで今回は戦国時代編(室町時代後期~江戸時代初期)として、西暦1450年ごろ(15世紀中盤)から1650年ごろ(17世紀中盤)までを一挙に並べてみました。

皆さんが調べものをされる時の参考になれば幸いです。

【注意】近世以前の元号は太陰暦を用いているため、必ずしも西暦の1年と合致していません。

ここでは便宜上、元号何年が西暦何年と合わせていますが、多少のズレがあることをお含みおき下さい。

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戦国時代の元号・西暦対照表

戦国時代の始まりを告げた応仁の乱。ただし地方ではすでに乱世の兆しを見せていたとの説も。

宝徳~4年(1449~1452年)

享徳~4年(1452~1455年)

康正~3年(1455~1457年)

長禄~4年(1457~1461年)

寛正~7年(1461~1466年)

文正~2年(1466~1467年)

応仁~3年(1467~1469年)

文明~19年(1469~1487年)

長享~3年(1487~1489年)

延徳~4年(1489~1492年)

明応~10年(1492~1501年)

文亀~4年(1501~1504年)

永正~18年(1504~1521年)

大永~8年(1521~1528年)

享禄~5年(1528~1532年)

天文~24年(1532~1555年)

弘治~4年(1555~1558年)

永禄~13年(1558~1570年)

元亀~4年(1570~1573年)

天正~20年(1573~1592年)

文禄~5年(1592~1596年)

慶長~20年(1596~1615年)

元和~10年(1615~1624年)

寛永~21年(1624~1644年)

正保~5年(1644~1648年)

慶安~5年(1648~1652年)

徳川家康の生きた元号・西暦対照表

※主な出来事を添えていますが、年代に異説があるものもあります。

天文11年(1542年) 誕生。幼名は竹千代(1歳)

天文12年(1543年)

天文13年(1544年) 母・於大の方と生き別れる(3歳)

天文14年(1545年)

天文15年(1546年)

天文16年(1547年) 今川義元へ人質に出される(6歳)

天文17年(1548年)

天文18年(1549年) 父・松平広忠が死去(8歳)

天文19年(1550年)

天文20年(1551年)

天文21年(1552年)

天文22年(1553年)

天文23年(1554年)

天文24年・弘治元年(1555年) 元服して松平元信と改名(14歳)

弘治2年(1556年)

弘治3年(1557年) 関口親永の娘(築山殿)を正室に迎える(16歳)

弘治4年・永禄元年(1558年) 松平元康と改名、初陣を飾る(17歳)

永禄2年(1559年) 長男・松平信康が誕生(18歳)

永禄3年(1560年) 桶狭間の合戦・独立を取り戻す(19歳)

永禄4年(1561年) 織田信長と同盟を結ぶ(20歳)

永禄5年(1562年)

永禄6年(1563年) 松平家康と改名、三河一向一揆が勃発(22歳)

永禄7年(1564年) 三河一向一揆が終結(23歳)

永禄8年(1565年)

永禄9年(1566年) 徳川と改姓、徳川家康となる(25歳)

永禄10年(1567年)

永禄11年(1568年) 武田信玄の駿河侵攻に乗じて今川氏真を攻める(27歳)

永禄12年(1569年) 武田信玄と対立する(28歳)

永禄13年・元亀元年(1570年) 金ヶ崎の退口・姉川合戦(29歳)

元亀2年(1571年) 

元亀3年(1572年) 三方ヶ原の合戦で武田信玄に惨敗を喫する(31歳)

元亀4年・天正元年(1573年) 

天正2年(1574年)

天正3年(1575年) 長篠の合戦で武田勝頼を撃破する(34歳)

天正4年(1576年)

天正5年(1577年)

天正6年(1578年)

天正7年(1579年) 築山殿事件。正室の築山殿と嫡男の松平信康を処刑する(38歳)

天正8年(1580年)

天正9年(1581年)

天正10年(1582年) 武田勝頼滅亡・本能寺の変で信長が横死・神君伊賀越え・天正壬午の乱(41歳)

天正11年(1583年)

天正12年(1584年) 小牧・長久手の合戦で羽柴秀吉と対決(43歳)

天正13年(1585年)

天正14年(1586年) 家康が秀吉に臣従(45歳)

天正15年(1587年)

天正16年(1588年)

天正17年(1589年)

天正18年(1590年) 小田原征伐・秀吉の天下一統(49歳)

天正19年(1591年)

天正20年・文禄元年(1592年) 第一次朝鮮出兵(文禄の役)。家康は渡海せず(51歳)

文禄2年(1593年) 第一次朝鮮出兵が終結(52歳)

文禄3年(1594年)

文禄4年(1595年)

文禄5年・慶長元年(1596年)

慶長2年(1597年) 第二次朝鮮出兵(慶長の役)。家康は渡海せず(56歳)

慶長3年(1598年) 秀吉が死去。第二次朝鮮出兵が終結(57歳)

慶長4年(1599年)

慶長5年(1600年) 関ヶ原の合戦。石田三成らを撃破する(59歳)

慶長6年(1601年)

慶長7年(1602年)

慶長8年(1603年) 征夷大将軍となる(62歳)

慶長9年(1604年)

慶長10年(1605年) 征夷大将軍を嫡男の徳川秀忠に譲り、大御所となる(64歳)

慶長11年(1606年)

慶長12年(1607年)

慶長13年(1608年)

慶長14年(1609年) オランダ使節と会見。朱印船交易を許可する(68歳)

慶長15年(1610年)

慶長16年(1611年) 豊臣秀頼と二条城で会見(70歳)

慶長17年(1612年)

慶長18年(1613年)

慶長19年(1614年) 大坂冬の陣(73歳)

慶長20年・元和元年(1615年) 大坂夏の陣で豊臣秀頼を滅ぼす。武家諸法度・禁中並公家諸法度を制定(74歳)

元和2年(1616年) 75歳で死去

終わりに

徳川家康の生まれた天文11年(1542年)から亡くなる元和2年(1616年)まで、一気にたどってみました。

人質の身分から天下人に上り詰めたその生涯は、今も多くの人々を魅了しています。

NHK大河ドラマ「どうする家康」は終わっても、まだまだ紹介しきれない徳川家康の魅力。これからも、紹介していきたいです。

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