北条宗時(ほうじょう むねとき)と言えば、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で片岡愛之助さんが熱演した三郎が知られるようになりました。
弟・北条義時(演:小栗旬)との別れや、非業の最期に宗時ロスを味わわされた視聴者も多いのではないでしょうか。
ところで、北条一族にはもう一人の北条宗時がいました。今回は鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼(ときより)の子として登場する「もう一人の宗時」について紹介したいと思います。
名前以外、ほぼすべて不明。果たして実在性は?
北条宗時は生年不詳、母親についてもはっきりしません。
すぐ上の兄・北条宗政(むねまさ)が建長5年(1253年)に生まれ、父・時頼が弘長3年(1263年)に亡くなっているため、この間に生まれているはずです。
※他の弟たち(北条政頼、北条宗頼、桜田時厳ら)が生まれてくる期間を考えれば、もう少し幅が狭まるでしょう(異母兄弟であればほぼ同時に生まれる可能性もなくはありませんが)。
宗時の通称は五郎、後に阿曾遠江守(あその とおとうみのかみ)と称したとされます。
阿曾遠江守と言えば、阿蘇流北条氏(宗時の叔父・北条時定の家系。阿曾≒阿蘇)の者がしばしば名乗っており(時定、北条随時)、何かしらの関係があったのかも知れません。
ただし、宗時の名前は北条氏の系図類にしか見えず、『吾妻鏡』などの史料には登場しないため、その実在性については疑問視されているようです。
もしかしたら系図を書き写した者が、作業している内に阿蘇流の誰か(おそらく随時。あるいは定宗あたり)とごっちゃになってしまった可能性もあります。
とは言え宗時の弟である桜田時厳(さくらだ じごん。僧侶)の子・北条定宗(さだむね)が時貞に養子入りしており、両系統の関係が密接であったことは間違いありません。
加えて宗時の兄である北条時宗(ときむね。第8代執権)と名前がひっくり返っており、通字(※)の制約があるため一族の中でならともかく、さすがに兄弟間でそれはないんじゃないでしょうか。
(※)一族の証しとして、名前に共通して用いる文字。例えば北条氏なら時・政など(例外もあります)。
スポンサーリンク
終わりに
以上、北条氏の系図に登場する「もう一人の宗時」を紹介しましたが、その実在性についてはあまり高くはなさそうです。
特に事績の言及もなく、ただ家系図に名前が載っているだけですから、実在してもしなくても困らない(歴史的な影響はほぼ皆無)……まさに空気と言ったところ。
しかし、たとえ名前だけであろうと時代の奔流に淘汰されることなく伝わり続けたのはすごいことです。安直に非実在と断定してしまうのは少し惜しい。
果たして「もう一人の宗時」は実在したのか……今後の研究による解明が俟たれます。
※参考文献:
- 高橋慎一朗『人物叢書 北条時頼』吉川弘文館、2013年7月
- 細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社、2011年3月
スポンサーリンク
コメント