New! ちぐさ(菅原孝標女)の生涯をたどる

【深掘り】全成と実衣(阿波局)の息子・阿野時元(森優作)はなぜ謀叛を起こしたのか【鎌倉殿の13人】

鎌倉時代
スポンサーリンク

阿野全成と実衣の息子。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

劇中でちょっとだけ(家系図で)言及されていた阿野時元(あの ときもと)。第37回放送「オンベレブンビンバ」でいよいよお披露目のようです(登場人物相関図に登場)。

森優作演じる阿野時元。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

説明の通り、亡き阿野全成(演:新納慎也)と実衣(演:宮澤エマ。阿波局)にとって唯一の嫡男です。

※京都で殺されていた阿野頼全(演:小林櫂人)は実は庶子。実衣が産んだ子供ではありません。

さて、森優作さんが演じる阿野時元はどのような生涯をたどるのでしょうか?今回はそれを紹介、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習になればと思います。

スポンサーリンク

実朝の暗殺後、将軍位を望んで謀叛を起こす

阿野時元は生年不詳、両親が出会った可能性のある治承4年(1180年)から父が殺された建仁3年(1203年)までの間に生まれました。

阿野の家督を継承する(出家しない)前提の嫡男なので、他の兄弟たちと異なり法号はないようです。

【ちなみに時元の異母兄弟たち】
長男・阿野頼保(らいほう/よりやす。太郎)
次男・阿野頼高(らいこう/よりたか。次郎)
三男・阿野頼全(らいぜん/よりまさ。三郎)
四男・阿野時元(四郎)
五男・阿野道暁(どうぎょう。最初から出家していた?)
六男・阿野頼成(らいじょう/よりなり)

※『吾妻鏡』に登場するのは次郎、三郎、四郎のみ。あと3名は『尊卑分脈』『清和源氏系図』などに名前があります。

元服して通称を四郎。諱の時は北条時政(演:坂東彌十郎)からもらい、元はパッと思いつく限りで大江広元(演:栗原英雄)や足立遠元(演:大野泰広)あたりからもらったのでしょうか。

新納慎也が演じた亡き父・阿野全成。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

父が謀叛の疑いで殺された時、連帯責任で殺されかけましたが、伯母の政子(演:小池栄子)らに保護されて一命をとりとめます。

その後は本拠地である駿河国阿野荘(現:静岡県富士市辺り)に隠棲していました。

しかし建保7年(1219年)1月27日に第3代鎌倉殿・源実朝(演:柿澤勇人)が暗殺されると「我こそ次の鎌倉殿に」と2月11日に挙兵します。

未剋。二品御帳臺内。鳥飛入。申剋。駿河國飛脚參申云。阿野冠者時元〔法橋全成子。母遠江守時政女〕去十一日引率多勢。搆城郭於深山。是申賜宣旨。可管領東國之由。相企云云。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月15日条

一方鎌倉では2月15日、政子の寝所にカラスが舞い込み、不吉だと思っていたところへ飛脚が時元の謀叛を報せました。

山岳に砦を構えて兵を集め、朝廷より東国支配の宣旨を賜わったと吹聴しているとか。
これは捨て置けません。政子は北条義時(演:小栗旬)に命じて追討軍を編成させます。

依禪定二品之仰。右京兆被差遣金窪兵衛尉行親以下御家人等於駿河國。是爲誅戮阿野冠者也。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月19日条
時元の追討に赴く鎌倉勢(イメージ)

2月19日に義時は金窪兵衛尉行親(かなくぼ ひょうゑのじょうゆきちか)らに兵を与えて派遣しました。

發遣勇士到于駿河國安野郡。攻安野次郎。同三郎入道之處。防禦失利。時元并伴類皆悉敗北也。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月22日条

2月22日に到着した金窪勢は時元の軍勢と交戦。安野次郎(阿野頼高)と安野三郎(阿野頼全)のところ(陣地?旧領?)を撃破され、時元ら一党はことごとく敗北。時元は自刃して果てたのでした。

酉刻駿河國飛脚參着。阿野自殺之由申之。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月23日条

駿河国から鎌倉に飛脚が到着し、味方の勝利と時元の自刃が報告されて一件落着。以上が阿野時元の生涯となります。

スポンサーリンク

謀叛の原因は、政子と阿波局の姉妹対立?

【阿野時元の生涯・略年表】
生年不詳
元服して四郎時元と称す
建仁3年(1203年)
5月19日 全成が謀叛の疑いで逮捕される
5月25日 全成が常陸国へ配流
6月23日 全成が現地で処刑される
7月16日 京都で出家していた異母兄・頼全が暗殺される
※その後、祟りと思しき怪現象が頻発する
建保7年(1219年)
1月27日 実朝暗殺
2月11日 将軍位を望んで駿河国阿野荘で挙兵
2月15日 鎌倉に時元謀叛の急報
2月19日 義時、金窪行親を派遣
2月22日 時元らが敗れて自刃
2月23日 謀叛鎮圧の伝令到着

ところで阿野時元の謀叛について、ちょっと違和感が否めません。引っかかるのは以下の2点。

(1)我が子が殺されたというのに、阿波局に関する言及がないのはなぜか?

(2)そもそも謀叛を起こす理由がないのでは?

全成が殺された時は連帯責任で阿波局も身柄の引き渡しが求められていた(政子により保護されている)のに、今回は何もありません。

甥の公暁(演:寛一郎)に暗殺される実朝。月岡芳年筆

そもそも実朝が暗殺された直後は源氏の後継者が決まっていない(実朝に子供がいない)のですから、時元が将軍位を望んで謀叛を起こすまでもなく、鎌倉当局からウェルカムの声がかかってもおかしくないはず。

源氏の血統に加えて北条氏との親しさから、これほど鎌倉殿に好都合な人物はそう多くないにも関わらず、なぜ時元を粛清したのでしょうか。

考察をめぐらせたところ、恐らく鎌倉幕府当局≒政子は

(1)朝廷から迎える皇族将軍(頼仁親王の鎌倉下向)をアテにしていた

(2)阿波局の影響力を排除したかった

からこそ、好条件にもかかわらず時元を粛清させたものと考えられます。

『吾妻鏡』などには記述がないものの、察するところ実朝在世の頃から、実母(政子)と乳母(阿波局)の対立があったのでしょう。

時元の謀叛を煽った?阿波局(イメージ)

それが実朝暗殺を好機として、阿波局は時元に挙兵させて鎌倉へ招き込み、一気呵成に鎌倉殿へ祭り上げたかったのかも知れません。

もし時元が鎌倉殿になれば、その生母である阿波局に政子が太刀打ちするのは難しくなってしまうでしょう。

「朝廷より東国支配を認める宣旨が下された」という吹聴はおそらく法螺で、既成事実を作るための宣伝工作だったものと考えられます。

しかし思うように兵が集まらず、政子らに先手を打たれ滅ぼされてしまったのでした。

時元を滅ぼされたことで阿波局の希望は完全に断たれ、政治の表舞台から姿を消していくことになります(命を救われたのは、姉妹の温情と言ったところでしょうか)。

スポンサーリンク

アテにしていた皇族将軍は……

さて、邪魔者(阿波局・時元)は片づいたし、これで都から頼仁親王(よりひとしんのう。後鳥羽上皇の皇子)がお越し下されば万事解決(の見通し)。

シルビア・グラブ演じる藤原兼子。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

昨年、上洛した際に藤原兼子(演:シルビア・グラブ)と打ち合わせ・根回ししておいてよかった……。

……実朝ガアリシ時。子モマウケヌニサヤ有ベキナド。卿二位物語シタリ……

【意訳】実朝に何かあった時、子供がいないのに跡継ぎはどうするのだと藤原兼子が話した(政子と話し合った)。

※『愚管抄』第六巻より

頼仁親王は兼子が乳母として養育しており、また生母は坊門信清(ぼうもん のぶきよ)の娘。つまり実朝から見て義理の甥に当たりますから、鎌倉殿の跡継ぎには申し分ありません。

政子は義理の大おばとなって鎌倉殿との関係性≒影響力を確保し、また皇族将軍であれば他の御家人たちの手垢がついていないため、北条にとって都合よく動かせるでしょう。

我が子でありながら、妹(阿波局)の影響を少なからず受けていたであろう実朝よりも好都合な第4代将軍の誕生を心待ちにしていたであろう政子。

尾上松也演じる後鳥羽上皇。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

しかし、そんな意図を見抜けない後鳥羽上皇(演:尾上松也)ではありません。

「こんなの実質的な人質(北条の傀儡)ではないか!いくら(上皇の乳母である)卿二位の口添えでも、親王を鎌倉へやることはならぬ!」

さぁ困りました。このままだと鎌倉は主なき暴力集団と見なされかねません。かくして政子と義時は、跡継ぎ探しに奔走することとなるのでした。

結局、何とか源氏の血筋と言えないこともない(頼朝の姉妹・坊門姫の曾孫に当たる)三寅(みとら。後の藤原頼経)を連れて来て第4代鎌倉殿にするのですが、その辺りの話しはまたの機会に。

スポンサーリンク

終わりに

以上、阿野時元が謀叛を起こした事情について考察してきました。

源氏の血筋でありながら、母と伯母の対立によって鎌倉殿への道を閉ざされ、非業の死を遂げた時元。

阿野時元の最期(イメージ)

その墓は父・阿野全成と並んで駿河国大泉寺(現:静岡県沼津市)に伝わり、沼津市の史跡に指定されています。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にあえて阿野時元を登場させたということは、間違いなく実朝暗殺後の謀叛を描くのでしょう。

本作の実衣(阿波局)は政子とギクシャクしてきているため、きっと時元の謀叛を煽り、権力を握ろう(政子から権力を奪おう)と野心を燃やす展開が予想されます。

権力欲の権化と化した母・実衣に押されて兵を挙げ、散華していく様子が目に浮かぶようです。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地・鎌倉』朝日新書、2021年11月
  • 丸山二郎 校訂『愚管抄』岩波文庫、1949年11月

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました