家康「うぅ、ワシはもうダメじゃ……」
家臣「まったくご高齢なのに、エビの天ぷらなんてガツガツ食べたら、そりゃ身体も壊しますよ」
家康「バカもん!ワシはそんないやしんぼではない!」
家臣「ははあ、失礼いたしました」
家康「ワシがしこたま食ったのは鯛の天ぷらじゃ」
……なんてギャグをどこで見聞きしたか(確かマンガでした)、徳川家康(とくがわ いえやす)は鯛の天ぷらにあたって(食中毒で)亡くなったという話を覚えています。
果たして本当なんでしょうか?
直接の死因ではなかったが……
時は江戸初期の元和2年(1616年)正月。鷹狩りに出かけた家康は、御用商人の茶屋四郎次郎(ちゃや しろうじろう)から京都で流行りの料理を教わりました。
鯛を胡麻の油にて揚げ候て、ひるをすりかけ候て……
【意訳】鯛をゴマ油で揚げ、おろしニンニクを薬味につけて食べる。
※『元和年録』より
※ちなみに『徳川実紀』だと、油は榧(かや)で、薬味はおろしたニラとのこと。
「ふむ、美味そう……かな?でも面白い!」
新し物好き、珍し物好きな家康は興味津々。さっそく家臣に命じて作らせました。
これが俗に鯛の天ぷらと呼ばれるもの。しかし衣をつけたとする記述がないため、もしかしたら単なる素揚げだった可能性も否定できません。
(でも、それだと別に珍しくもなさそうだし、やはり衣の食感は欲しいところです)
果たして作らせてみると、これが家康的に大ヒット。
家臣「……で、調子に乗って食い過ぎちゃったんですね?」
家康「トホホ……」
しかし、家康が亡くなったのはその年の4月17日。3か月間も食中毒で苦しみ続けたとは考えにくいため、近年では胃がんの可能性が指摘されています。
恐らく、歳をとって胃腸が弱っていたところへ脂っこいものを食べ過ぎたため、胃がんが悪化してしまった……というのが真相のようです。
よく派手な織田信長や豊臣秀吉と対比されるため、とかく地味で質素なキャラクターとしてイメージされる家康。
実際に粗食で長命を保ったがゆえに天下を奪れたとされていますが、ジャンクフードによってその最期を早めてしまったのは、実に皮肉なことですね。
終わりに
最後に、家康が寿命を縮めてまで食べまくってしまうほど美味かった?とされる鯛の天ぷら再現レシピを紹介。
機会があれば、是非とも試してみたいですね!
【材料】
鯛の切り身、薄力粉、塩、ごま油、ニンニク【作り方】
一、鯛を食べやすい一口サイズに切って、水気を切る
一、薄力粉と塩を混ぜて水で溶き、鯛をくぐらせて衣をつける
一、170~180度に熱したごま油で揚げる
一、すりおろしたニンニクをつけて食べる
榧(かや)の油とおろしニラの薬味バージョンも試してみたいですね。でも、ちょっとその日は人と会うのを控えた方がいいかも知れません。
※参考文献:
- 永山久夫『レシピ付 武将メシ 千五句十九武将の“勝負メシ”を忠実に再現』宝島社、2013年3月
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