よく通る鎌倉山の道に、住吉(すみよし)というバス停があります。
住吉と言えば住吉神社。現在この辺りに住吉神社はないはずですが、かつては祀られていたのでしょうか。
という訳で、今回は鎌倉市鎌倉山にある「住吉」バス停について、その由来を調べてみました。
まずは図書館で文献を調べる
鎌倉山は鎌倉郡笛田村に属していたため、笛田村の寺社を調べてみます。
【鎌倉郡笛田村の神社等】
三島社 佛光寺持下同、蔵王社 道祖神社二 村持下同、神明宮 山神社※『新編相模國風土記』巻之百五 村里部 鎌倉郡巻之三十七
- 三島神社
- 蔵王神社
- 道祖神社×2
- 神明宮
- 山神社
住吉神社と思われる神社はないようですね。他の文献も調べてみましょう。
『鎌倉市史 社寺編』でも住吉神社はありません。近くの鎌倉山神社(山神社)はありました。
『新装普及版 鎌倉事典』には住吉神社の言及があるものの、これは隣の逗子市小坪に鎮座する住吉神社。住吉城(戦国時代の砦)の鎮守と考えられています。
また鎌倉市が在地の古老から聞いた話を収録している『としよりのはなし』でも、やはり住吉神社に関する話は出てきません。
少なくとも『としよりのはなし』が収録されている昭和40年代(1965~1974年)の鎌倉山には、もう住吉神社が存在しなかったのではないでしょうか。
ほかの書籍を探しても、鎌倉山の住吉神社に関する情報は見つけられませんでした。
京急バスに問い合せた結果
調査が難航しているので、ここはいっそバス停を命名した京急バス当局なら何か知っているのでは?という期待を込めて、問い合わせてみました。
姓:角田
名:晶生
性別:男性
年齢:40歳代
質問の件名:バス停の地名について
質問:鎌倉市鎌倉山近辺の「住吉」バス停について、どのような理由で命名されたかを知りたいです。
近くに住吉神社があったのでしょうか?またそのような伝承があるのでしょうか?
書籍を調べても分からなかったため、問い合わせいたしました。
御社で把握されている限りをご教示いただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
数日後、京急ご案内センターよりいただいた返信がこちらです。
角田 様
平素は京浜急行バスをご利用いただきまして,誠にありがとうございます。
お客さまよりお寄せいただきました内容につきまして,「住吉」の停留所名称の由来につきまして,当社では停留所命名について,その由来や経緯などに関する資料を作成し,それを保存をする義務がないことから,詳しいことをお知らせをすることができかねますが,推測ながら当時の名称や通称より命名をしたと存じております。
なお,当社には旧町名,あるいはその施設などが現存をしていない場合でも,名称について変更をしていない停留所はいくつかございます。
その理由といたしまして,お客さまをはじめ住民の皆さまが地元ランドマークのひとつとして,その名称が深く浸透し,慣れ親しんでいただいていることもあり,特に変更の必要に迫られることがなかったことから,引き続きその名称を使用しておりますので,事情をご賢察のほど,なにとぞご理解賜りたく存じます。
今後も京浜急行バスをご愛顧いただきますよう,お願い申しあげます。
ご多忙の中、ご返信くださりありがとうございました。
メールの内容をまとめると、このようになるでしょう。
(1)住吉バス停の命名記録は残っていないから分からない。
(2)当時の地名や通称から命名したものと推測される。
(3)命名理由となった地名やランドマークがなくなった後も、特に変更の必要性がなければそのまま使われることがある。
……とのことです。要するに住吉バス停の命名理由は分かりませんでした。
住吉バス停調査まとめ
- 文献に記録や記述がないことから、江戸時代以前に住吉神社はなかったものと推測される。
- 比較的近年になって住吉神社が創建された?現存していないため、すぐに廃社となった?
- それとも地元民は既存の神社を住吉神社と認識していた?
- あるいは現地に住んでいた地主の個人名?
※調査時点の認識であり、今後発見があれば変わる可能性があります。
鎌倉山の住吉神社についてもっと調べたいところですが、今回はこのくらいにしておきましょう。
今後、新たな発見や情報提供があったらお知らせしたいと思います。
※参考文献:
- 蘆田伊人 編集校訂『大日本地誌大系23 新編相模国風土記稿 第五巻』雄山閣、1985年2月
- 『鎌倉市史 社寺編』鎌倉市、1979年10月
- 白井永二編『新装普及版 鎌倉事典』東京堂出版、1992年5月
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