■佐々成政 / 白洲 迅
さっさ なりまさ / しらす じん織田家の家臣
信長にその戦働きを認められ、精鋭部隊の一つである黒母衣衆(くろほろしゅう)の筆頭に上り詰めた、血気盛んな男。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
第6回放送「兄弟の絆」から登場する佐々成政。予告編で小一郎(仲野太賀)に刃を突きつけ、血気盛んな様子が演じられていました。
今回はそんな成政が率いた黒母衣衆について紹介。大河ドラマを楽しむ参考になれば幸いです。
織田信長が親衛隊として編成

母衣(ほろ)とは簡単に言えばマントのことで、背後から飛んできた矢や石などの衝撃を和らげて身を護る効果が期待されました。
衝撃吸収効果を高めるため、竹や鯨骨で作った骨組みを包み込んだことから、見た目には風船を背負ったような姿になります。
織田信長は永禄10年(1567年)に自身の親衛隊として、黒母衣衆と赤母衣衆を編成しました。
黒母衣衆と赤母衣衆の顔ぶれは?

【黒母衣衆】10名『信長公記』または13名『武家事紀』
- 佐々成政
- 毛利良勝(もうり よしかつ。新介)
- 生駒勝介(いこま しょうすけ。庄之助)
- 水野帯刀左衛門(みずの たてわきざゑもん)
- 蜂屋頼隆(はちや よりたか)
- 中島主水正(なかじま もんどのかみ)
- 松岡九郎次郎(まつおか くろうじろう)
- 河尻秀隆(かわじり ひでたか)
- 津田盛月(つだ せいげつ)
- 中川重政(なかがわ しげまさ)
※以下は『武家事紀』のみ登場
- 伊藤武兵衛(いとう ぶへゑ)
- 平手久右衛門(ひらて きゅうゑもん)
- 野々村正成(ののむら まさなり)
【赤母衣衆】9名『信長公記』または17名『武家事紀』
- 前田利家(大東駿介)
- 飯尾尚清(いのお なおきよ)
- 織田越前守(おだ えちぜんのかみ)
- 福富秀勝(ふくずみ ひでかつ)
- 塙直政(ばん なおまさ。原田備中守)
- 黒田次右衛門(くろだ じゑもん)……『武家事紀』には登場せず
- 毛利秀頼(もうり ひでより)
- 野々村正成(ののむら まさなり)……『武家事紀』では黒母衣衆に
- 猪子一時(いのこ かずとき)
※以下は『武家事紀』のみ登場
- 浅井政貞(あざい まささだ)
- 木下雅楽助(きのした うたのすけ)
- 伊東長久(いとう ながひさ)
- 岩室重休(いわむろ しげやす)
- 山口飛騨守(やまぐち ひだのかみ)
- 佐脇良之(さわき よしゆき)
- 長谷川橋介(はせがわ きょうすけ)
- 渥美刑部丞(あつみ ぎょうぶのじょう)
- 金森長近(かなもり ながちか)
- 加藤弥三郎(かとう やさぶろう)
彼らは信長の親衛隊として身辺警護や伝令、先導役などを務めたと言います。
いずれも文武にすぐれ、信長の信頼も厚かったことから出世コースの花形でした。しかし、いかんせん目立つことから危険も多かったことは言うまでもありません。
黒母衣衆と赤母衣衆はどっちが格上?

信長によって編成された黒母衣衆と赤母衣衆は、どっちの方が格上だったのでしょうか。
現場での運用に格差はなかったようですが、人々は何となく黒母衣衆の方が格上であるように認識していたようです。
『菅利家卿語話(かん としいえきょう ごわ)』によると、戸田勝成(とだ かつしげ)が赤母衣衆を率いていた前田利家に対して、こんなことを言いました。
……赤母衣衆は、少し人の覚えも薄き様に申候……
【意訳】赤母衣衆の連中は(黒母衣衆に比べて)存在感が薄いのではないかと思う。
これだけ聞くと、随分な侮辱もあったものですが、勝成としては利家らに奮起を促す目的だったのかも知れません。
また史料などで黒母衣衆の方が先に記されていることや、黒母衣衆の構成メンバーの方が比較的年齢層が高めであることなどから、黒母衣衆の方が格上と見られているように感じます。
ただ実際には、黒母衣衆も赤母衣衆も公平に扱われていたようで、手柄を立てれば相応に評価されたことでしょう。
もしかしたら信長は、あえて黒母衣衆と赤母衣衆に色分けしたことで、相互の競争意識を煽ったのかも知れませんね。
終わりに

今回は信長の親衛隊である黒母衣衆と赤母衣衆について紹介してきました。
信長が編成した母衣衆の制度は秀吉(池松壮亮)に引き継がれ、また多くの大名家でも活躍することになります。
これから大河「豊臣兄弟!」では、黒母衣衆(佐々成政)と赤母衣衆(前田利家)の切磋琢磨が戦場を彩っていくのでしょう。
血気盛んな若武者たちの大暴れぶりを、これから楽しみにしています。
※参考文献:
- 谷口克広『信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材』中公新書、1998年12月


