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【大河ドラマ予習】徳川家康、武田信玄と組んで今川氏真を滅ぼすの巻【どうする家康】

戦国時代
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桶狭間の合戦で今川義元(演:野村萬斎)を喪った今川家。その家督を継いだ今川氏真(演:溝端淳平)は暗愚であったため、松平元康(演:松本潤。徳川家康)の独立はじめ家臣たちに見放されていきます。

駿河攻略に野心を燃やす武田信玄(イメージ)月岡芳年「月百姿」

これを甲斐の武田信玄(演:阿部寛)が見逃すはずもありません。かつての盟友であろうが愚か者と共倒れするなどまっぴら御免、遠慮なくその所領を切り取るのが戦国の習いというもの……さっそくその毒牙を駿河国へ向けるのでした。

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氏真、駿府を追われ掛川城へ

……かの今川氏真は日にそひ家人どもにもうとまれ背くもの多くなりゆくをみて。甲斐の武田信玄入道情なくも甥舅のちなみをすてゝ軍を出し。駿河の国はいふまでもなし。氏真が領する国郡を侵し奪はんとす。氏真いかでか是を防ぐ事を得べき。忽に城を出で砥城の山家へ迯かくれしに。朝比奈備中守泰能は心ある者にて。をのが遠江の国懸川の城へむかへとりてはごくみたり……

※『東照宮御實紀』巻二 永禄七年-同十一年「信玄滅今川氏」

【意訳】今川氏真はその暗愚ゆえ、日を追って家臣たちに疎まれ、離反する者が増えてきた。その様子を見て甲斐の武田信玄は、非情にも叔父甥の関係(※氏真の母は信玄の姉)を無視して駿河へ出兵。氏真ごときがこれを防げるはずもなく、駿府城を棄てて山中へ逃げ込んだ。

掛川(懸川)城主の朝比奈泰能(あさひな やすよし。備中守)は忠臣で、氏真の窮状を見捨てることなく迎え入れたのであった。

現代の掛川城(イメージ)

ちなみに、この朝比奈泰能は弘治3年(1557年)時点で既に亡くなっており、恐らく嫡男・朝比奈泰朝(やすとも。備中守)の誤記と考えられます(異説もあり)。

ひとまず掛川城に入って態勢を立て直したい氏真ですが、今度は家康が攻めてきました。

……遠州の国士等多半御味方にまいりければ。懸川の場外に向城をとりたてゝ氏真をせめ給ふ。十二年にいたり懸川城しばゝゞせめられ力盡しかば。和睦して城をひらきさらんとするに及び。   君はかの使に対し。我幼より今川義元に後見せられし舊好いかで忘るべき。それゆへに氏真をたすけて義元の■を報ぜしめんと。意見を加ふること度々におよぶといへども。氏真佞臣の讒を信じ我詞を用ひざるのみにあらず。かへりて我をあだとし我を攻伐んとせらるゝ故。止事を得ず近年鋒盾に及ぶといへども。更に本意にあらず。すでに和睦してその城を■らるゝに於ては。幸小田原の北條は氏真淑姪のとなり。我また北條と共にはかりて氏真を駿州へ■住せしめんとて。松平紀伊守家忠をして氏真を北條が許へ送らしめられける。北條今川両家のもの共もこれを見て。げに   徳川殿は情ある大将かなと感じたり。かくて懸川城をば石川日向守家成に守らしめらる……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」

【意訳】遠州の者たちがほとんど味方になったので、家康は掛川城の周囲に向城(城攻めようの城塞。いわゆる付城)を築いて氏真を攻めた。今川・朝比奈勢は善戦するも永禄12年(1569年)に入ってとうとう城を開くことに。家康は使者に対して言付けた。

我が子同然に可愛がってくれた恩義を、家康は忘れなかった。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

「わしは幼少のころから御父上にご後見いただき、その御恩は今でも忘れておらぬ。だからこそ今川(氏真)殿をお支えして御恩に報いようと、かつて数々の進言をして参った。しかし今川殿はへつらい者の言葉を信じて我らを攻め討たんとされたがゆえ、やむを得ず此度の戦いに及んだとは言え、決して本意ではない。すでに和睦して城を開かれた今、幸い小田原の北条(ほうじょう)は今川殿と縁続きであるから、我ら協力して駿府へお帰りいただけるよう手配いたそう」

とのことで、家臣の松平家忠(まつだいら いえただ。紀伊守)に命じて氏真の身柄を小田原へ護送。掛川城の守りには石川家成(いしかわ いえなり)を配置。この配慮に人々は感心したのであった。

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駿府城への復帰を目指すが……

……君にはさすがに今川が舊好をおぼし召。氏真が愚にして国を失へるをあわれみ給ひ。山縣昌景が駿府の古城を守り居たるを追おとしたまひ。北條と牒し合わせられ氏真を駿府にかへりすましめんと。城の修理等を命ぜられたり。この経営いまだとゝのはざる間に信玄入道かくと聞て大に驚き。また駿府城にせめ来り。城番の岡部などいへる今川の士を味方に招きその城ふたゝび奪ひ取る。氏真は兎角かひゞゝしく力をあはする家人もなければ。後には小田原にて北條がはごくみをうけて年を送りしが。北條氏康卒して後氏政が時に至り。小田原をもさまよひいでゝ浜松に来り。当家の食客となりて、終りける……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「信玄背約」

旧主の嫡男から遠州を奪い取ったやましさを払拭するためか、家康は約束どおり駿河に兵を進めます。
山縣昌景(演:橋本さとし)の守る駿府城を攻め落とし、氏真を迎えるため城郭の修繕を命じました。

それを知った信玄は城番を務める岡部元信(おかべ もとのぶ)を調略し、駿府城を奪い返したのです。

岡部元信と言えば以前に今川義元の首級を奪い返した忠臣ですが、もはや氏真に愛想を尽かしていたのでしょう。

関東の雄・北条氏康。大河ドラマでは誰が演じるのだろうか。月岡芳年「大日本名将鑑 北條氏康」

こうなっては打つ手もなく、氏真はそのまま小田原に滞在。やがて北条氏康(ほうじょう うじやす)が元亀2年(1571年)に亡くなり、嫡男・北条氏政(うじまさ)の代になると居心地が悪くなったのか、氏真は小田原を飛び出して家康の元へやって来ます。

かつての人質に養われながら、氏真は安らかな余生を過ごしたということです。

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終わりに

以上、『徳川実紀(東照宮御実紀)』より今川氏滅亡のエピソードを見て来ました。駿河を切り取った信玄が評判を落とした一方で、同じく遠州を切り取った家康が評判を高める結果となったのはイメージ戦略の差でしょうか。ちなみに氏真の子孫は江戸時代も存続、高家旗本として活躍します。

今川氏真。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

NHK大河ドラマ「どうする家康」では氏真の退場場面がどのようにアレンジされるのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 『徳川實紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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