New! 藤原実資の妻・婉子女王とは【光る君へ】

【大河の予習】織田信長は一目散に逃亡。残された秀吉の窮地に、家康はどうする?「金ヶ崎の退口」の名場面を紹介【どうする家康】

戦国時代
スポンサーリンク

織田信長(演:岡田准一)と言えば天下布武を唱えて覇道を突き進んだ絶対無敵「第六天魔王」のイメージですが、その生涯において不覚をとることもしばしばありました(不覚の最たるものが、かの有名な「本能寺の変」ですね)。

今回はそんな一つ「金ヶ崎の退口(かねがさきののきぐち)」。信長が越前国の朝倉義景(あさくら よしかげ)を攻めていたら、妹婿の浅井長政(演:大貫勇輔)が裏切って背後から攻めて来ます。

一目散に逃亡した信長(イメージ)

信長は大慌てで退却し、殿軍に残された木下藤吉郎秀吉(演:ムロツヨシ)は窮地に陥り……共に出陣していた徳川家康(演:松本潤)はどうするのでしょうか。

今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』より、家康の大活躍を紹介。NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習になるかも知れません。

スポンサーリンク

信長は真っ先に逃亡!窮地の秀吉を救い出した家康

……ことし弥生信長越前の朝倉左衛門督義景をうたんと軍だちせられ(※原文ママ。ださせられ、か)。又援兵を望まれしかば。君にも遠江三河の勢一万余騎にて。卯月廿五日敦賀といふ所につき給ふ。やがて織田と旗を合せ手筒山の城をせめやぶる。なをふかく攻入て金が崎の城に押よせらるゝ所に。信玄(原文ママ。信長か)のいもと聟近江の浅井備前守長政朝倉にくみし。織田勢のうしろをとりきるよし注進するものありしかば。信長大におどろき。とるものもとりあへず。当家の御陣へは告もやらず。急に朽木谷にかゝり尾州へ迯帰る。木下藤吉郎秀吉にわづか七百騎の勢をつけてのこされたり。秀吉は   君の御陣に来りしかゞゝのよしを申救をこひしかば。快よく請がひたまひ。敵所々に遮りとめんとするをうちやぶりうちやぶり通らせ給ふ。されど敵大勢にて小勢の秀吉を取かこみ秀吉既に危く見えければ。㝡前(最前)秀吉が頼むといひしを捨て行むに。我何の面目ありて再び信長に面を合すべき。進めや者どもと御下知有て。御みづから真先にすゝみ鉄砲をうたせたまへば。義を守る御家人いかで力を尽さゞらん。敵を向の山際までまくり付。風の如くに引とりたまふ。椿峠までのかせ給ひ志ばし人馬の息をやすめ給ふ御馬前へ。秀吉も馬を馳せ来り。もし今日御合力なくば甚危きところ。御影にて秀吉後殿をなしえたりとて謝しにけり。

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「信長討朝倉義景」

時は元亀元年(1570年)3月、信長が朝倉義景を討つために軍勢を率いて越前国へ向かいます。

「徳川殿にも、援軍を願いたい」

盟主……もとい盟友の頼みとあらばと家康は三河・遠江から一万余騎の軍勢で駆けつけました。

4月25日に敦賀へ到着、織田・徳川の両郡で協力し手筒山城(天筒山城、敦賀城)を攻略。更に金ヶ崎まで突き進みますが、ここで信長の妹・お市の方(演:北川景子)を娶らせた浅井長政が朝倉勢へ寝返ってしまいます。

信長を裏切った浅井長政。高野山持明院蔵

「申し上げます!浅井備前(長政)殿、朝倉方へ参じ、当方へ襲来の由!」

「何だと……ただちに兵を退くぞ、誰ぞ殿軍(しんがり)を務める者はおるか!」

「ならばそれがしが」

「おぉ、藤吉郎か。任せたぞ!」

兵700ばかりを預けた信長は、一目散に尾張へと逃げ帰っていきました。

「時に、徳川殿への報せは……」

「要らぬ!状況を見れば勝手に退くだろう、そのくらい自分で判断させぇ!」

……なんて会話があったかどうか、家康の陣中では織田の本隊が引き揚げたのは百も承知で、その場に居座ります。

「殿、我らも退きましょうぞ!」

言い出しっぺが引き揚げたのだから、協力者である家康も兵を退いて当然……なのですが、家康は殿軍として朝倉・浅井の大軍を食い止めている秀吉の方が気になりました。

「救援に参るぞ、者ども続け!」

まったくお人よしもいいところ、家康は敵中に孤立している秀吉の加勢に向かいます。しかしなかなか敵は手強く、このままでは家康さえも危ない状況です。

「もう退きましょう。我らまで命を棄てる義理はございますまい!」

秀吉を救援するべく、奮戦する三河武士たち(イメージ)

「いや、ここで退いては三河武士の名折れ。織田殿に面目が立たぬ。進めや者ども、死ぬ気でかかれ!木下殿をお救いするのじゃ!」

家康は自ら先頭に立って鉄砲を打ち放し、家臣たちを鼓舞すると「我らが殿を死なせてなるものか」と主従一丸になって奮闘しました。

その甲斐あって敵をじわじわ追い返し、どうにか逃げ出すことに成功。もうボロボロになって人馬を休まれているところへ、やはりボロボロになった秀吉がやって来ます。

「……こたび徳川殿のご加勢なくば、我ら生還は期し得なんだろう。お陰様で、何とか殿軍の務めを果たせ申した。礼を申す」

何の何の、困った時はお互い様……家康は秀吉と手を取り合い、天下の義将として名を上げたのでした。

スポンサーリンク

終わりに

金ヶ崎の退口に臨み、奮い立つ家康たち。NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

以上が戦国時代の名場面「金ヶ崎の退口」。家康は「困った仲間を決して見捨てない律義者」として、信長の信頼を勝ち取りました。

この屈辱を断じて晴らさでおくべきか……リベンジを誓う信長に、家康は再び力を貸します。それが有名な「姉川の合戦」、またも家康が大活躍するのですが、改めて見ていきましょう。

※参考文献:

  • 経済雑誌社『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
  • 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました