江戸時代、庶民たちは教養を好んでユーモアを楽しんでおり、そうしたやりとりは現代の私たちが聞いても愉快なモノがたくさんあります。
今回はその一つ、古典落語の「道灌(どうかん)」を紹介。
果たして、どんな物語なのでしょうか。
八っつぁん、ご隠居から「山吹伝説」を教わる
ある日ある時、ご隠居の家に遊びに来た八五郎(いわゆる八っつぁん)は、屏風に貼られた一枚の絵が気になりました。
「ねぇご隠居。この椎茸の親分みてぇな帽子(笠)をかぶって、虎の革の股引(行縢-むかばき)を穿いている男は何者(なにもん)ですかい?」
それは太田道灌「山吹の里」エピソードを描いたもので、知識を披露したくてたまらないご隠居は「待ってました」とばかり講釈を始めます。
「昔むかし、関東に太田道灌(おおた どうかん)というお殿様がおってな。ある時雨に降られて、農家に『蓑を貸してくれ』と頼んだところ、そこの娘が『お恥ずかしゅうございます』と山吹の枝を差し出したのじゃ」
「へぇ、まったく意味が判らねぇや」
「お前さんの頭じゃ、さもあろうな……まぁ、道灌にしても意味が判らず、そのまま山吹の枝を持ち帰ったところ、家来の一人がこんな歌を紹介するんじゃ。
『七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき』
※平安時代『後拾遺和歌集』より、兼明親王。
……つまり、山吹は花こそ美しいが、実はならない……その『実のない』を『蓑ない』にかけた。つまり『貸せる蓑がない』という遠回しな断りだったんじゃ」
「へぇ……随分と回りくどい断り文句もあったもんだ。そんな悠長じゃ、雨がやんぢまわぁな」
「まぁ、とにかく道灌は自分が『歌道に暗い(疎い≒教養が乏しい)』ことを恥じて、勉学に励んだということじゃ」
「へぇ……」
インテリっぽい話を聞くと、すぐに試してみたくなる「意識高い系」は今も昔もいるもので、話を聞いた八っつぁんは、さっそく試してみようと家に帰りました。
実は近所の熊五郎(いわゆる熊さん)が、よく傘を借りに来るので、山吹の話でからかってみようと思い立ったのです。
\ スポンサーリンク /
さて、結果は?
数日後、待ちに待った雨が降ったので、八っつぁんはご隠居から聞いた和歌を書きつけた紙を手に待っていると、果たして熊さんがやって来ました。
「よぅ八っつぁん、提灯(ちょうちん)貸してくんな」
「何だ熊公……ん?」
見れば熊さんの手には、いつもなら持っていない傘があるではありませんか。
「おい熊公、お前ぇ何だって傘なんか持ってやがるんだ」
「おかしな事を言いやがる。俺が傘を持ってちゃ悪りぃか」
「あぁ悪りぃね……お前ぇは俺ンとこに蓑を借りに来る予定だったんだ。それが傘なんぞ持ってちゃあ具合が悪りぃんだ」
「何を言ってやがる……蓑だなんてお前ぇ、今どき田舎者じゃあるめぇし……ともかく俺は提灯が入り用なんだ」
すっかり当てが外れた八っつぁん、もう何でもいいから仕込んだネタをやりたくてうずうずしています。
「ちぇっ、仕方ねぇ……だったら『蓑を貸してくれ』と言ったら提灯を貸してやらぁ」
「は?まるで訳が分からねぇが、それで提灯を貸してくれるならまぁいいや……それじゃあ『蓑を貸してくれ(棒読み)』これでいいか?」
すると八っつぁん、待ってましたとばかり「お恥ずかしゅうございまするぅ……」 と、少女の声色をまねて、和歌を書きつけた紙をぶっきらぼうに突き出しました。
「何だよ八っつぁん、気持ちが悪りぃな……これを読めばいいのか?えーと……」
紙には、こんな和歌が書いてあります。
「ナナへヤ(七部屋)ヘ……ハナハサケトモ(花は酒とも)、ヤマブシ(山伏)ノ……ミソヒトツカミ(味噌ひと掴み)……ナベトカマシキ(鍋と釜敷き)……何だいこりゃ」
悪筆の八っつぁんが書いたカタカナばかりのミミズ文字を、文章を読むのが苦手な熊さんが読んだものだから、もう滅茶苦茶。そもそもうろ覚えで文章が意味不明です。
しかし、八っつぁんは支離滅裂であろうがどうでもよく、とにかく熊さんの困り顔に得意満面。言ってやりたかった決め台詞を言い放ちます。
「お前ぇ、これが判らねぇのか?よほど歌道(かどう)に暗(くれ)ぇんだな」 すると熊さん、ムッとして言い返します。
「おうよ、そこのカド(街角)が暗ぇから提灯を借りに来たんだよ」
……お後がよろしいようで。
※参考文献:
- 黒田基樹『扇谷上杉氏と太田道灌』岩田書院、2004年7月
- 小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』角川叢書、2008年7月
- 林屋正蔵ら『落噺笑富林』永寿堂西村屋与八、1833年
コメント