昔から酒飲みと言う生き物は、流れる液体のすべてが酒に見えるとか見えないとか。
「あーあ、この川の水が全部酒だったらなぁ……」
筆者などあまり酒の好きでない者は、さぞむせ返ってしまいそうです。しかしどうした理屈か、そうした伝承が現代にも残っています。
今回は親孝行から、滝の水がみんな酒になったという「養老の滝」伝説を紹介。居酒屋チェーンの名前にもなっていますが、どんなエピソードがあったのでしょうか。
とある樵夫が目を覚ますと……
美濃樵夫。當耆群人。事親至孝。家貧無財。鬻薪供養。其父嗜酒。樵夫常提瓢。過市賖酒以進。一日伐薪于山中。践石誤顛墜。覚■有酒気。心怪之。忽見石間有飛瀑色以酒。試甞之。則馨烈甘美。樵夫大喜。汲而供父。霊亀三年九月。 元正天皇幸美濃。 車駕過當耆郡。観醴泉以爲孝感之所致。名泉爲養老之瀑。回改元養老。授樵夫官。家遂富饒。愈益盡孝養。
※『前賢故実』巻第二 元正天皇朝九名「美濃樵夫」
【読み下し】※読みやすく適宜改行しています。
美濃の樵夫(しょうふ。きこり)は當耆郡(たぎごおり)の人なり。
親に事(つか)え孝を至らしめ、鬻薪(しゅくしん。粥と薪)を供養(くよう。供え養う、扶養)す。
その父は酒を嗜む。樵夫は常に瓢を提げ、市を過ぎて酒を賖(おきの)りもって進む。
一日(あるひ)山中に薪を伐り、石を践み誤り顛墜(てんつい)す。やがて酒気あるを覚え、心これを怪しむ。
たちまち見れば石間に飛瀑(ひばく。滝)あり、色もって酒なり。試みにこれを甞(な)むればすなわち馨(香り)はげしく甘美。樵夫大いに喜び、汲みて父に供う。
霊亀三年九月、元正天皇の美濃に幸(さきは)う。車駕の當耆郡を過ぎて醴泉(れいせん。甘酒の泉)を観、孝感の致すところをもって泉に名づけ、養老の瀑となす。また養老と改元し、樵夫に官を授く。家は富饒(ふうじょう)を遂げ、いよいよ孝養を益し尽くす。
【意訳】今は昔し、美濃国當耆郡(現:岐阜県養老町)に樵夫が住んでいた。親孝行で生活の面倒を見ていた。父親は酒好きだったので樵夫はいつも瓢箪を持って市場に行き、ツケで酒を買って飲ませている。
ある日、山で木を伐っていたところ足を踏み外し、転げ落ちてしまった。いつしか酒の香りに目が覚めると、酒の色をした滝が流れている。試しになめてみると香りも甘みも強い酒であった。樵夫はこれを汲み帰って父に飲ませたという。
時に霊亀3年(717年)9月。当地へ行幸された元正天皇(げんしょうてんのう。第44代)は樵夫のエピソードを聞かれ、その孝心に感動された。
さっそく滝を「養老の滝」と名づけ、元号を霊亀より養老と改め、樵夫には親孝行を誉めて官職を授ける。これで家は豊かになり、息子はますます親孝行に励んだとのことである。
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終わりに
「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」
※元正天皇の発せられた詔
【意訳】この美しき醴の泉水を老人たちに飲ませなさい。この精(きよ)らかな泉のような心で天下の罪に恩赦を与え、霊亀3年を養老元年と改めなさい。
……きっと息子の孝心に感じた天が、滝の水を酒に変えたのでしょう。『古今著聞集』によればこの樵夫は美濃守(国司)に任じられたと言います。また伝承により樵夫の名を源丞内(げんじょうない)とも言うようです。
今も養老の滝は養老公園の中に流れ、幅4m高低差32mの迫力をもって訪れる人を魅了しています。
「もしこの滝が、本当にすべて酒だったらなぁ……」そんなことに思いを馳せてみるのも楽しそうですね!
※参考文献:
- 菊池容斎『前賢故実 巻第二』国立国会図書館デジタルコレクション
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