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【大河ドラマ予習】田鶴の夫・飯尾連龍(豊前守致実)とはどんな武将?その最期がコチラ【どうする家康】

戦国時代
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今川義元(演:野村萬斎)亡き後、家督を継いだ今川氏真(演:溝端淳平)。しかし佞臣に惑わされて酒色に溺れた氏真を、家臣たちは次々と見放していきます。

遠州・引間城主の飯尾連龍(いのお つらたつ。別名・豊前守致実)もそんな一人。密かに松平家康(演:松本潤)に内通するのですが……。

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二度にわたる籠城戦、引間城を守り抜く

現代の浜松城(引間城。曳馬城)。画像:Wikipedia

……今川氏真ハ去年三州発行佐脇八幡に在陣せし時飯尾豊前守致実が徳川殿へ内通し病と称し居城遠州引間へ引返すとて其道すがら新井平須賀辺の駅舎に放火して帰りし事を大に憤り氏真駿州へ帰府の後早速に引間を故致実を生捕て其虚実を鞠問せんとて新野右馬助親規弟式部少輔之規を大将とし三千餘人を差添へ引間の城へさし向短兵急に攻させしに豊前守さる古つハものなれば少しも恐れず矢炮を飛し防戦す寄手の大将新野右馬助鉄砲にあたりてうたれ死す(大成記引間城攻を永禄五年四月とす誤れり)依て散々に敗れ駿州へ迯帰れば氏真益怒りかさねて朝比奈備中守泰能瀬名陸奥守親隆其子中務大輔氏範朝比奈兵太夫秀盛等に大勢を差添攻かこみ晝夜を分たず攻しかども致実防戦の術を盡し寄手の手負死人ばかりにて城落べしとも見へず其時致実矢文を射出し某讒者の為に無実の罪を蒙り遺恨せん方なし一時の急難をのぞかんが爲防戦するといへども全く異心を抱くにあらず早く讒者の虚実を糺明有て恩免を蒙らバ、彌二心なく忠勤すべしとしたゝめ起請文に添て贈りけれバ討手の輩是を駿府に贈り氏真に見せしむ氏真爰に於て討手の輩呼返し致実が罪を免し此後ハ懇意に恩義を施しけれバ致実も忝くや思ひけん禮謝の為に駿府へ来りけるを氏真謀をめぐらし壮士を伏置不慮に殺害せり……

※『改正三河後風土記』巻第九「寺部上野城攻付飯尾豊前守の事」

「おのれ豊前(飯尾致実)……病と称して勝手に兵を退くのみならず、駅舎へ火を放つとはいかなる所存か!問いただすゆえ、生け捕って参れ!」

氏真は新野右馬助親規(にいの うまのすけちかのり)とその弟・新野式部少輔之規(しきぶしょうゆう ゆきのり)に兵3,000を与えて飯尾致実(豊前守)の籠もる引間城を攻めさせます。

「来おったか……者ども、迎え撃て!」

古強者の豊前守は慌てず騒がず、城兵を巧みに指揮して新野兄弟を翻弄。やがて兄の右馬助が銃撃によって討死すると、散々に敗れ駿府へと逃げ帰ったのでした。

「おのれ豊前……こうなったら精鋭を差し向けるよりあるまい!」

今度は朝比奈備中守泰能(あさひな びっちゅうのかみ やすよし)や瀬名陸奥守親隆(せな むつのかみ ちかたか)・瀬名中務大輔氏範(なかつかさだゆう うじのり)父子、朝比奈兵太夫秀盛(へいだゆう ひでもり)に大軍を与え攻めさせました。

※朝比奈泰能はすでに亡くなっており、息子の朝比奈泰朝(やすとも)と推測されます。

猛将たちによって激しく責め立てられた引間城。しかし豊前守の抗戦により、なおも後略のめどが立ちません。

そんな中、寄せ手の陣中へ豊前守の矢文が届きます。

イメージ

「心無き讒訴によって濡れ衣を着せられ、かかる火の粉を払うべく抵抗に及んでしまったが、元より謀叛の心などございませぬ。早く我が無実を証明し、こたびの手違いをお許し下さるならば、これまで以上に忠義を尽くしましょう」

「……との由にございます」

矢文に添えられた豊前守の起請文を一読した氏真は、これを信じて豊前守を赦免しました。

が、それは罠。すっかり許されたものだと油断し切った豊前守は、駿府へ呼び出されたところで暗殺されてしまったのでした。

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遺された飯尾連龍の妻・田鶴が女城主に

かくして命を落とした飯尾連龍(豊前守致実)。しかし引間城は妻の田鶴(演:関水渚)が守っており、にわかに女城主として名将ぶりを発揮するのでした。

「おのれ今川、許すまじ!」武装を固めて引間城を護る田鶴(イメージ)

……致実が妻女ながらもけなげなる正室にて夫の横死を憤り城兵を指揮し堅固に籠城し小国の武藤刑部丞をたのみ甲州の武田へ内通す神君此由聞召飯尾が家臣江間安芸同加賀両人へ御内意有て松下覚右衛門後藤太郎左衛門を御使とせられ徳川家へ其城を渡すに於てハ飯尾が幼子寡婦を御懇に御養育ありて其家人等悉く召抱られ御扶助有べしと仰ければ依て安芸加賀両人其旨を以て飯尾が妻を種々と諫めさとしけれども彼の妻さらに承引せず爰に於て引間の城を乗取とて酒井左衛門尉石川伯耆守両将を差向らる然に彼妻ハ防戦の指揮をなし城兵屡々突出て烈しく戦へバ寄手大に敗走せり其翌日ハ酒井石川又攻寄てはげしく攻立遂に外郭に乗込めバ飯尾が妻は緋縅の鎧に同じ毛の兜を着長刀をふるつて敵中に切て入る侍女婢七八人同じ粧ひ出立て城兵五六十人と同く勇戦し男女一人も残らず討死す彼妻死去就の是非ハ論ずるにたらされども其志操の説烈ハ丈夫にもまさりたりと感ぜぬ者奈し扨酒井石川の両将城を乗取れば左衛門尉に此城を守らしめらる江間安芸加賀の両人ハ最初より御内意を蒙りし者なればとて飯尾が所領ハ悉く此両人へ下されける(原書飯尾病死し氏真より其幼子に家督を継せしとあるハ誤之引間城攻の事ハ基業による)……

※『改正三河後風土記』巻第九「寺部上野城攻付飯尾豊前守の事」

このくだりについても、改めてじっくり紹介したいと思います。

※参考文献:

  • 成島司直『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション

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