人間、生まれた以上は必ず死ぬものですが、面と向かってハッキリそう言われると、少なからず衝撃を受けるものではないでしょうか。
おまえも
死ぬぞ釈尊
※岐阜県・願蓮寺掲示板(Twitter投稿:@10com_nj氏)より
死を迎えるのは半世紀後なのか、あるいは今なのか分からないからこそ、一日々々をしっかり生きようと願いながら、ついつい歳月は虚しく流れ、いざ死を目前にして慌てふためいてしまうのが人間という生き物。
そんな業は昔の人たちも変わらなかったようで、今回は平安文学『伊勢物語(いせものがたり)』より、主人公(をとこ)の最期を紹介。
この世への未練に、あなたは共感できるでしょうか。
つひにゆく 道とはかねて きゝしかど……
在原業平(ありわらの なりひら)を主人公のモデルにしたと考えられている『伊勢物語』は、とある男の初冠(ういこうぶり。元服)から死まで数々の恋物語を連ね、簡潔な中に様々な含みを持たせる表現が特徴的です。
これまでたくさんの恋をして、成功したり失敗したりを繰り返した主人公ですが、その最期は実にあっさりと描かれています。
百二十五
むかし、をとこ、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひにゆく 道とはかねて きゝしかど きのふ今日とは思はざりしを【意訳】
『伊勢物語』より
昔、ある男が重病を患い、いよいよ死期を悟った時、
「とうとうこの時が来た。誰もが通る道とは知っていたが、まさか今がその時とは思っていなかったのに……」
と詠んだそうな。
結局、男が回復したのかしなかったのかは言及がないものの、これが最終話(※番外編を除く)ですから、恐らくそのまま世を去ったものと思われます。
こう客観的に読んでいる限りでは「平素から覚悟を固めていないからこうなるのだ」と思うでしょうが、これがいざ我が身となると、同じくうろたえてしまう方がほとんどでしょう。
だって、今は元気だから。次の瞬間どうなるかは分からないけど、未来のことまで思い悩んでいたらキリもないですし。
かくして私たちはたまたま健康である今日を当たり前のごとくやり過ごし、いざ死を前にあわてふためき……を性懲りもなく繰り返すのでした。
終わりに
もちろん、こう偉そうに書いている筆者にしても、いざその場になれば見苦しく動揺してしまうはずです。
「おまえも死ぬぞ」
誰もが必ず死を迎え、決してその恐怖からは逃れられない……「死ぬ」とはそこまで含めて言っているように思えてなりません。
どのみち未練の残る人生ですが、だからこそ少しでも有意義に生きることを忘れないように心がけたいものですね。
※参考文献:
- 大津有一 校注『伊勢物語』岩波文庫、2014年5月
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