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一度の過ちで見捨てては…武士道バイブル『葉隠』が説く、人材育成の心得を紹介

古典文学
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いきなりですが、想像してみて下さい。あなたは人事担当で、社員を1名あるポストに抜擢する任務を負っている……とします。

選考の結果、最終候補としてAさんとBさんがピックアップされました。どちらもスキルや経歴、人柄など条件はほぼ同じです。

イメージ

大きな違いと言えば、これまで万事そつなくやってきたAさんに対して、Bさんは以前に一度大きな失態を犯している点でしょうか。

皆さんなら、どっちを抜擢しますか?その理由は何ですか?

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一度誤これありたる者を御捨てなされ候ては……

今は昔。佐賀鍋島藩で、とある武士の立身御僉議(りっしんごせんぎ。昇任審議)が行われていた時のことです。

「この者は勤続年数も長く、業務成績も悪くない。昇任させてはいかがかと……」

「暫く。この者の経歴を調べたところ、以前に酔っ払って粗相をしたことがあります」

やらかしてしまった過去(イメージ)

「何と……そのような者を立身させれば、当家の名折れとなりましょう」

「然り。此度の立身、無用とすべし」

そうだそうだと賛同する者が相次ぎ、満場一致で立身無用(昇任取り消し)に決まるかと思いきや、一人の者が「暫く」と異議を唱えます。

「何じゃ、異存でもおありか」

「いかにも……確かにこの者は誤りを犯しておりますが、一度の誤りだけで見捨てては人材が育ちません。誤りを犯した者はそれを悔やんで身を慎み、奉公に励むものにございますれば、どうか此度は立身仰せつけられませ」

ふむ……その言い分に一理あるように思えなくもありませんが、また大きな失態を犯さぬものか一抹の不安も拭えません。

「その方、此度の立身について請け合われる(何かあったら、責任をとれる)か」

拙者が請け合い申そう(イメージ)

「請け合い申そう」

まぁ、そこまで言うなら一度やらせてみるか……と言う訳で、その者はめでたく立身なったのでした。

終わりに

五〇 何がし立身御僉議の時、この前酒狂仕り候事これあり、立身無用の由衆議一決の時、何某申され候は、「一度誤これありたる者を御捨てなされ候ては、人は出来申すまじく候。一度誤りたる者はその誤を後悔いたす故、随分嗜み候て御用に立ち申し候。立身仰せ付けられ然るべき」由申され候。何がし申され候は、「その方御請合ひ候や。」と申され候。「成程某受に立ち申し候。」と申され候。その時何れも、「何を以て受に御立ち候や。」と申され候。「一度誤りたる者に候故請に立ち申し候。誤一度もなきものはあぶなく候。」と申され候に付て、立身仰せ付けられ候由。

※『葉隠』巻第一より

後日、この件について尋ねる者がありました。

「貴殿はあの時、何ゆえ立身を請け合われたのか?」

一度誤りを犯した者が、再び犯さぬとも限らぬではないか……そんな質問に、こんな答えが返ってきます。

「一度失態を犯したからこそ請け合ったのだ。一度も誤りがないと調子に乗る手合いに限って、後でより大きな過ちを犯すものだ」

酒は楽しく、適量を(イメージ)

若い内に失敗しておけば、そのことから教訓を得て成長するもの。長く活躍する人材ほど、多くの失敗≒挑戦をしています。

致命傷でなければ、どんどん失敗を重ねて成功へのプロセスとする者をこそ大切にすべきです。逆に失敗がないのは挑戦≒成長していない証でもあり、誇ることではありません。

昨今はとかく失敗を嫌い、何か落ち度があれば「水に落ちた犬は棒で叩け」とばかり吊るし上げる様子が目に余ります。

しかし、立ち直るチャンスが与えられてこそ、人も社会も再び活気を取り戻すことでしょう。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、1940年4月

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