北条家の長男と言えば、石橋山の合戦で討死してしまった北条宗時(演:片岡愛之助)。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ている方はもちろん、多くの方がそう思うのではないでしょうか。
しかし系図によっては彼の存在が消され、北条義時(演:小栗旬)が長男とされているものもあるのです。
それどころか、実衣(演:宮澤エマ)やちえ(演:福田愛依)あき(演:尾崎真花。稲毛女房)まで……書き洩らしにしては、ちょっと人数が多すぎる気がします。
何か意図があるのでしょうが、果たしてどういう事情によるのでしょうか。そこで今回は『尊卑分脈』にある北条氏の系図を調べてみました。
時政と6人の子供たち
『尊卑分脈』によると、北条時政(演:坂東彌十郎)の子供たちは以下の順に並んでいます。
義時・時房・女子・女子・女子・女子
※『尊卑分脈』より
とりあえず男子を先、女子を後にまとめており、長女は政子(演:小池栄子)。残念ながら宗時が割愛されているのが判ります。
上三人(義時~政子)は有名どころなので割愛し、二番目の女子から書かれているコメントを見て行きましょう。
女子
右兵佐朝政妾
※『尊卑分脈』より
後中納言國通室(藤)
この右兵佐朝政(うひょうのすけ ともまさ)とは平賀朝雅(演:山中崇)のこと。大河ドラマでは、きく(演:八木莉可子)という名前で登場していましたね。
朝雅が粛清された後は中納言國通(ちゅうなごん くにみち)すなわち藤原国通と再婚。年老いた母・りく(演:宮沢りえ。牧の方)を京都に迎えて安らかな晩年を暮らしています。
女子
宇津宮弥三郎頼綱妾(藤)
※『尊卑分脈』より
泰綱母
こちらは下野国(現:栃木県)の有力豪族・宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)に嫁いでおり、大河ドラマには登場していません。
妾とあるので側室扱い、後に宇都宮泰綱(やすつな)を生みました。
女子
後天王寺攝政妾(藤師家)
※『尊卑分脈』より
後天王寺(ごてんのうじ)摂政とは松殿師家(まつどの もろいえ)のこと。寿永2年(1183年)に12歳で摂政となりますが、翌寿永3年(1184年)木曽義仲(演:青木崇高)の敗亡により失脚してしまいます。
結婚のタイミングは不明ながら、何とか政界復帰を果たそうと時政の娘婿となったのでしょうか。
その後、師家が政界に返り咲くことはありませんでしたが、穏やかに暮らして欲しいと願うばかりです。
女子
大納言実「実」宣卿室
※『尊卑分脈』より(カッコは原文ママ)
大納言実宣とは、滋野井実宣(しげのい さねのぶ)のこと。建仁3年(1203年)ごろに結婚しますが、彼女は建保4年(1216年)に亡くなりました。
女子
※『尊卑分脈』より
そして最後の女子。彼女については何もコメントがありませんから、誰なのかわかりません。
実衣(阿波局。阿野全成室)なのか、ちえ(畠山重忠室)なのか、それともあき(稲毛重成室)なのでしょうか。
半ば存在を「なかったこと」にされたような彼女たちには、共通点があります。全員、近親者が「謀叛人」とされているのです。
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まとめられてしまった女子たち
阿波局は、自身の生んだ嫡男・阿野時元(演:森優作)が建保7年(1219年)に粛清されました。
ちえの夫・畠山重忠(演:中川大志)は、元久2年(1205年)に時政の謀略により粛清されています(畠山重忠の乱)。
あきの夫・稲毛重成(演:村上誠基)は、畠山重忠の乱で時政に協力しました。それで責任をなすりつけられ、粛清されたのです。
だから体面を重んじて彼女たちを「なかったこと」にしようと……でもそれなら、平賀朝雅だって謀叛の咎(牧氏の変)で粛清されたのでは?
確かにそうですが、恐らくは官職(右兵佐=右兵衛佐)に任じられていたため、それはそれで北条一族の名誉として載せたものと考えられます。
かくして最後にノーコメントで記された「女子」は、恐らく「その他(都合の悪い)女子たち」と十把一絡げに片付けられてしまったのではないでしょうか。
なお長兄・宗時は別に謀叛など企んでいないどころか命懸けの奉公をしているのですが、恐らくは「義時こそ嫡男なり」という正統性を強調したかったのでしょう(別に兄の座を奪ったわけではないものの、何となく「兄を差し置いて家督を継いだ感」を消したかったものと思われます)。
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終わりに
以上『尊卑分脈』より、時政の子供たちを紹介してきました。
「お前らなんか、我が子ではない!」とばかりに割愛されてしまった宗時・実衣・ちえ・あき達がちょっと不憫ですね。
ただしこれは後世(南北朝~室町時代初期)に編纂されたもの。実際の北条ファミリーは大河ドラマでも描かれていたような、温かな絆に結ばれていたことを願います。
※参考文献:
- 『国史大系 尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1983年3月
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