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源氏将軍は実朝(3代)で断絶?実は末代まで受け継がれた源氏の血筋【鎌倉殿の13人】

鎌倉時代
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建保7年(1219年。承久元年)1月27日、第3代・源実朝(演:柿澤勇人)が公暁(演:寛一郎)によって暗殺され、鎌倉の源氏将軍は断絶したと言われます。

公暁に暗殺される実朝。月岡芳年筆

しかし実際には源氏の血統は辛うじてながら第9代(最後の)将軍・守邦親王(もりくにしんのう)まで受け継がれていたのです。

実朝に子供がいないのに、どうやって源氏の血統を受け継いだの?今回はそんな疑問を究明していきましょう。

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第4代鎌倉殿・藤原頼経

さて、実朝の跡を継いで第4代鎌倉殿となった藤原頼経(ふじわらの よりつね。九条頼経、幼名:三寅)。

「早くも藤原氏じゃん!嘘つき!」

まぁお待ち下さい。実は頼経の曾祖母は、頼朝の姉妹である坊門姫(ぼうもんひめ。実朝の正室とは別人)。女系(母系)とは言え、確かに源氏の血を引いているのです。

坊門姫が一条能保(いちじょう よしやす)と結婚して生んだ娘が九条良経(くじょう よしつね。九条兼実の次男)に嫁ぎ、その嫡男・九条道家(みちいえ)の息子が頼経(三寅)……とつながっています。

鎌倉明王院蔵 藤原頼経肖像

これで源氏の血筋を主張するのは随分と強引なのでは……しかし実朝の死後、皇族から鎌倉殿(宮将軍)を迎える気満々だった当局(主に執権北条氏)により、生き残っていた源氏の男児は次々と粛清。ついに根絶やしにされてしまったのです。

【北条氏を許さない源氏被害者の会】

阿野時元(阿野全成の嫡男)…建保7年(1219年)2月22日、自害

栄実(頼家の庶子、母は一品房昌寛の娘)…建保7年(1219年)10月6日、自害

禅暁(栄実の同母弟)…承久2年(1220年)4月14日、暗殺

※実朝暗殺以後の者たち
※厳密には頼朝の隠し子・貞暁(じょうぎょう)などチラホラいますが、鎌倉政権の中枢からは既に遠ざかっているため、鎌倉殿の後継者候補としては対象外に。

とにもかくにも「源氏将軍」を鎌倉殿にお迎えした当局は、その血筋を(あくまで大義名分に過ぎないとは言え)大事に受け継いでいくのでした。

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中断しながらも第9代まで続いた鎌倉の源氏将軍

かくして源氏の血統を受け継ぎ、鎌倉殿となった藤原頼経。頼家の遺児・竹御所(たけのごしょ)を正室に迎えて男児をさずかったものの、死産となってしまいます。

そこで側室(藤原親能の娘)を迎えて生んだ男児が第5代鎌倉殿・藤原頼嗣(よりつぐ)。このまま順調に子供が生まれれば言うことなしなのですが、頼経・頼嗣父子は相次いで急死。頼嗣に子供はいなかったので、仕方なく宗尊親王(むねたかしんのう)を第6代鎌倉殿に迎えます。

宗尊親王は後嵯峨天皇(ごさがてんのう。第88代)の皇子で、九条道家の孫娘に当たる近衛宰子(このゑ さいし)と結婚。第7代鎌倉殿となる惟康親王(これやすしんのう)を生みました。

厳密には第6代鎌倉殿は「源氏の血筋ではない」から血統的には一時断絶したとも言えますが、第7代で源氏の血筋を復活。だからセーフです。

源氏以上に高貴な皇室の血筋だから、誰も文句なしだった?(イメージ)

しかし惟康親王には男児がなく、女王(天皇陛下から3親等以上離れた女子)は第8代鎌倉殿・久明親王(ひさあきらしんのう)に嫁ぎました。

久明親王は後深草天皇(ごふかくさてんのう。第89代)の皇子で、惟康親王とは従兄弟関係に当たります。ここでも源氏の血統が中断するものの、生まれた男児・守邦親王(もりくにしんのう)は源氏の血筋を引いています。

そしてこの守邦親王が最後の第9代鎌倉殿となり、元弘3年(1333年)5月22日に鎌倉幕府は攻め滅ぼされたのでした。

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まとめ

鎌倉将軍略系図(筆者自作)

初代・源頼朝…………当然源氏
第2代・源頼家………頼朝の嫡男だから当然源氏
第3代・源実朝………同じく当然源氏
第4代・藤原頼経……頼朝の甥曾孫。母系だけど源氏
第5代・藤原頼嗣……頼経の子だから、同じく源氏
第6代・宗尊親王……頼朝の姪玄孫の婿。アウト!
第7代・惟康親王……宗尊親王の子。母系だけど源氏
第8代・久明親王……惟康親王の娘婿。アウト!
第9代・守邦親王……惟康親王の孫。母系だけど源氏

以上、第6代と第8代の中断はあったものの、何とか最後まで続いた源氏の血筋。やはり武門の棟梁は「源氏でなくちゃダメだ」という認識があったのでしょう。

そこまでの執念と情熱をもたらしたのは、やはり鎌倉幕府が「(源氏の棟梁であった)頼朝の武士団」であったこと(頼朝のカリスマ)に由来します。

もしも頼朝が平氏や藤原氏であったら、きっとそっちが武門の棟梁とされていた筈です。頼朝時代に培われた主従の熱い絆を象徴する源氏の血統は、その後も室町幕府(足利氏)・江戸幕府(徳川氏)へと受け継がれたのでした。

※参考文献:

  • 細川重男 編『鎌倉将軍 執権 連署列伝』吉川弘文館、2015年11月
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月

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